フゴッペ洞窟の陰刻画

昭和25年、北海道余市町の海岸に海水浴に来ていた中学生によって偶然発見されたフゴッペ洞窟。 当時は、入り口は非常に狭く、子供が腹ばいでやっと入れる程度だったそうです。 中には壁面一面に陰刻画がびっしり。 このような洞窟の陰刻画の発見は、日本では手宮洞窟に次いで2例目であり、 そして、これが最後になった。この発見により、当時主流だった「手宮洞窟の 陰刻画いたずら説」が否定されることになる。両洞窟の陰刻画が類似しているからである。 確かに、手宮洞窟のは何だか曖昧で怪しいのだが、 フゴッペ洞窟のは大規模で、陰刻画も明確で信憑性は高そうである。 (でも、パンフレットは手宮洞窟のよりしょぼい。見学に金取るし。) その後、シベリア、アムール川流域で発見された岩刻画との類似性も指摘されている。

フゴッペ洞窟発見の逸話は、ヨルダンの洞窟で死海文書が発見された逸話に 似ている。あれも、羊飼いの子供が偶然洞窟を発見したんだな。 死海文書というと、そこには「人類補完計画」が書いてあるとか言う、新世紀エヴァンゲリオンと言う アニメを連想するが、そう言えば、フゴッペ洞窟に無数に描かれている「翼のある人」みたいな奴が、 オープニングで出てきたような気もする。

翼のある連中の模写図を見ると、墜天使軍団の集団飛行の図に見えなくもない。 手宮洞窟の方は、角のある連中の軍団に見えるので、有史以前の2大種族が、 対峙し、闘争していたのかもね。両洞窟の丁度中間地点に、忍路(オショロ) ストーンサークルという古いモニュメントもあるし。


いろいろ彫ってあります。 縦に平行に走っている線は、ガラスの模様です。無視してください。


翼のある人:一番明瞭且つ複雑で、明確に人造物であると思える図章。


模写図の一部:この世の終末に現れる堕天使軍団か。何だか怖いよ。

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