手宮洞窟の陰刻画

手宮洞窟は、日本で2例しかない陰刻画のある洞窟で、もう1例の フゴッペ洞窟より早い慶応2年に、北海道小樽市手宮の海岸で長ベエという 石工によって発見された。 明治時代にはいろいろな学者によって、ルーン文字に似ているとか、 古トルコ文字に似ているとか言われて、「解読」されたりしている。 しかし、学会の方では近世のいたずら説が有力だったようである。 ところが、昭和25年に、隣町の余市町で類似した陰刻画が発見されたために、 本物であることが有力に成った。しかし、パンフレットによれば、陰刻画は 文字というより、呪術用の絵画という説が有力なようである。 祭典で仮装した人々や動物が描かれているということである。 それでも、未だに、これを文字とみなして(古トルコ文字、シュメール文字、 シナイ文字、甲骨文字の混在!)解読している人もいる。

実物を見ると、下に掲げられている解説図と見比べても、図章は曖昧で 良くわからない。表面の凹凸が激しく、線画の部分は何かを塗って色を変えて 無理やり絵に見せている風にも見える。もし、このようなものから、 これだけ想像逞しい事が描けるのなら、えらくおめでたい話である。 ただし、少なくとも明治時代はもう少し線画が明確で、その後、自然に風化してしまって、 今のように曖昧になってしまったのかもしれない。

参考文献
鈴木旭「超古代日本」アスペクト


入り口の扉には角のある人が描かれている。


ガラス越しの現物と、解説図を見比べる。


現物拡大。角のある人は一人は分かるのだが。

マピオン地図

次へ