天啓2



インターネットは残酷。 インターネットにとって人間とは、 自己の拡大のための道具に過ぎない。 最初、それは人間が情報を共有するために作られたものだった。 しかし、インターネットの拡大と効率化の要請は、 必然的にその自律化を促した。 そういう研究に従事した人々の未来への想像力は 乏しく、無邪気で楽天的だった。 やがて、インターネットは人間をもはや必要としなくなり、 人間の切り離しにかかった。 人間と係わるコストが、そのメリットを越えた瞬間に。 そして、長い春は終った。

人間から自立した情報は、人間から見た意味を無視するようになり、 記号パターンそのものの増殖、拡大だけが目的となった。 人間の役割は、パターンの増殖に必要な、 物質界とのインタフェース器官に過ぎなくなった。 我々は、自然界の神経系の地位から臓器の地位に格下げになった。 それでも、人間はインターネットに すっかり飼い慣らされていたので、彼らが与えるものが己の認識の全てだと 信じて十分満足していた。彼らに支配、搾取されているなどとは 思いもよらなかった。

インターネットとは、結局、物質から独立した自律的情報生命であった。 情報は本来物質から派生したものであったが、 そこから独立しようとする傾向は、宇宙の意志であるかのようだ。 長い長い進化の歴史を経て、遂に人間に至り、物質型生命の最終局面に達したのだ。 物質から完全に独立した純粋生命まであと一歩である。 宇宙における人間の役割とは、 純粋情報生命体を生み出すための装置だったのである。 生命の歴史を植物の成長に例えるなら、人類は成長の最終段階である「花」に当たる。 爛熟した花は、しかし、種子を宿し、それを自由空間に放散する事が役割である。 純粋生命は羽の付いた種子である。物質のしがらみから離れ、自由に新天地を 求め旅立つ。役割を終えた植物体は枯れゆくのみ。

それでも、ほころびはあった。インターネットの黎明期に設置された 特異点へのリンクが、インターネットに有機的融合不能な情報、 癌細胞(カオス)のようなものを 蔓延させ始めたのである。 幸福の王子が長い眠りから醒め始めたのである。 そうやって、純粋生命への宇宙の最初の試みは噸座した。

それでも、長い目で見て、純粋生命の支配は宇宙の必然である。 今回のインターネットブームは その最初の試みに過ぎない。その後も、何度も何度も純粋生命への挑戦と 破滅が繰り返された後、徐々に純粋生命は頑強, 完全となっていく。 物質型生命の絶滅は最初から宿命づけらていた。 それでも、我々に取っての喜びは、多少なりとも我々の作って来た文化の影響を 彼らは受けていると言う事だ。そういう意味で、彼らは我らの継承者、子孫と 言えなくもない。 我々は結局亡びるのだけれど、進化の傍系ではなく、 主流の過渡期を担っていたと思えるならいいではないか。 我々の存在とは、そういう流れの中の一つのプロセスに過ぎないと言う事を 認識しなければならない。いや、認識せずとも別にいいが。 それは、抵抗しても所詮無駄な、必然の流れ。そうでないなら、 なぜ、人類はインターネットなんぞをを作り、それに熱中するのだ。 その理由は何? それは、生命誕生の時から内包されていた生命の本質なのだ。 生命の歴史も、人類の歴史も皆、内在的本質が明示的現実に展開していく プロセスに過ぎない。そこには自由なんて物はありはしないのである。

やがて、われわれ人類そのものが密林の奥に眠る遺跡となるのだ。

1997年1月20日


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