文句ぶちぶち1997

本来、我が「日本特異点紀行」は、実際に旅に出て撮って来た写真を中心にした紀行文だけで 構成していくつもりだったのだが、それだと、次の旅に出るまでコンテンツを更新できない。 かと言って、忙しくなるとなかなか我が愛する無意味な旅には出られない。そこで、単に、更新している 実績を作る為だけに、ぶちぶちとよしなき事を文句垂れるだけのコーナーを作った。下らなくてごめん。



旅の予定

北海道に行きたい。行った事がないから。青森へ言った時は一人で車にのって東北自動車道を登り、 サービスエリアで車に一泊したのだったが、きつかった。北海道ではそうもいかない。金がかかる。 北海道にはマイナーなストーンサークルが幾つか有るので、見て見たい。北海道の人知れぬ森の中に 眠るストーンサークルをイメージするとわくわくする。 まあ、人知れぬと言うわけではないけどね。 他に、シャコタン半島に有名な彫刻文字のある洞窟があるので見て見たい。 しかし、いつ行けるか分らないな。

本当は樺太に言って見たいけど、稚内から船に乗って。 でも、それは大変だな。短い期間だけ日本だったところで、 日本の痕跡がいろいろ無造作に残っているらしい。神社なんかはみんな壊されちゃたんだろうけど、 鳥居の残骸が有ったりするそうである。

他に興味が有るのは、やはり、森林鉄道跡だ。いわゆるトロッコ軌道である。 「鉄道廃線後を歩く」や「トワイライトゾーン」などで、トロッコ軌道跡の写真を 見ると、人知れぬ山の中に細い線路が無理矢理なヘアピンカーブで登って行ったり、 細いやばそうな橋や手ぼりの狭いトンネル抜けて突き進む様は、夢の世界のようだ。 利用されなくなって随分立っているのに、そもそも人が分け入るような場所ではないから、 あまり変化せずに残っている。子供の時に教科書で読んだ芥川竜之介の「トロッコ」を 思いだす。

どうも、近代の遺跡、それは比較的新しいものなのに歴史学より考古学の対象になるようなものの 見物が好きなようだ。しかも、皆から忘れられちゃっているようなマイナーな物。 それでも、存在は維持していて、私に発見されるのを待っているような物。 物なんて人から認識されなければ、あっても無いのと同じだが、私が見る事によって 無いからあるに変わるのだな。怪しい感覚。

田舎の素敵なお店は何処

今はどんな田舎でもコンビニが進出しちゃって風情もくそもないが、一人旅していると、その名の通り便利ではある。 でも、コンビニが進出をためらうような素敵な所には、まだレトロスペクティブなお店があるだろう。 なんでも屋、よろず屋というやつである。「塩」と「たばこ」の看板が掲げてあって、 ポストもあって切手やはがきも売っていたりして。郵便局の代りになっている。 硝子戸を明けて中に入ると土間になっていて、商品は一段高い座敷に並んでいる。 土間にはレトロな冷蔵庫, それは硝子戸がなくて、カプセルの蓋みたいのが2つ付いてある奴, その中には棒付きアイスキャンディーしかないのだ。砂糖水味の。 飴類, 煎餅類は瓶の中に入っている。(きっと昔はこれがモダンなデザインだったのではないか?) 野菜も売ってるし、菓子パンも売っている。でも、大抵青カビが這えている。 あまり酷いと油で揚げてもう一度売っちゃうのだけど、カビが浮き出ている。 このパンカビ生えていると文句を言うと、ばばあに青カビは体にいいとか訳の分らない事を 言って怒られる。しょうがないから、あんぱんを皮を向いて食う。 時々、ケーキも売っているが、バタークリームのショートケーキだけで、苺の変わりに ゼリーで作ったさくらんぼもどきが乗っている。カステラも売っているが、表面がざらざらで ぱさぱさのパンである。あと、何だっけコロネーとかそんな名前のトグロを巻いた菓子パン。 中にはチョコクリームが入っているのだけど、情ない事におしりの穴見たいな所から クリームがはみ出しそうなのを蝋紙で押さえている。 子供たちはそれを見て食指が動かされるのだろう。 一番奥には画用紙やがびょう等の文具類もある。

外に出るとベンチがあって、お百姓様がアイス食べている。 壁には当然、ハイアースとオロナミンC(あるいはボンカレー)の ホウロウ看板がある。 水原弘は死んで久しいが、 さすがに第1回レコード大賞を取った人は違う。ゆみかおるもね。 これは幻想だろうか?そういうお店が探せばきっと残っているだろう。

1997/1/15


ミステリーゾーンとトワイライトゾーン

この2つ、あまり意味は変わらないと思うけど、ここでは、異なるニュアンスで使おう。 ミステリーゾーンは奇妙な場所と言う事で、世界的に有名なのは、 ネス湖, バミューダトランアングル、 ナスカの地上絵、ストーンヘンジなど。前2者は荒唐無稽SF系で、最近は偽物暴露事件が目立つ。 日本だと屈斜路湖とか池田湖とか、地方のマイナーな湖に多い。観光客誘致の意図が強いのか。 地元商工会と役場観光課の陰謀? 一見セコイ作戦だが、確かにテレビでスペシャル組んでくれると地元の経済に与える影響は大きい。 最近、その手の番組は少なくなったけど。 これが元で、大手観光会社の観光コースに組み入れられたら地元に取っては大ラッキー。 確かに、ただの湖と、怪獣やUFOの出る湖じゃ大違い。ほんまかいな。その証拠は、それに 関連したみやげものがあるかと言う事だ。

さて、後2者は謎の古代遺跡系で、遺跡そのものは確かに有るのだけど、怪しい学者が 珍奇な学説を披露した事で有名になった類。実体が無いのよりはましかもしれないが、 あんまり変わらないね。たわいない物に過剰な伝説を付与するのは、宗教と同じ。

一方、トワイライトゾーンは、某鉄道趣味雑誌の別冊誌のタイトルとして使われているので、 現代遺跡の類を指すことにしよう。ミステリーゾーンもトワイライトゾーンも, 共に、 一般的な価値観から見たらあまり価値の無い場所に、過剰な思い入れをする事と 言えるけど、趣は大部違う。方やメジャーな商売指向を、その有効性はともかく、持っているのに対し、 もう一方は、そういう方向性を本質的に否定している。 トワイライトゾーンは、学術的あるいは芸術的価値観が強いマニアックなもので、マイナー指向, 個人指向が強い。学術的興味で見る場合は、よくあるマニア趣味で、考古学や民族学、社会学などの アカデミズムに精神的に通じる。考現学という言葉もある。 しかし、芸術的価値観で見るというのもある。赤瀬川原平は, 既に実用価値が無くなった、 かつての実用品の造形を指して超芸術(トマソン)と言っている。通常芸術も実用価値の無い物 であるが、始めからそれを意図して作られているに対し、意図せず実用価値が無くなった 人工物が超芸術なのだな。

いずれにしても、身の回りの物、街の中、店の中、テレビの中、インターネットの中は、 意図された仕掛けばかりなのだが、たまには意図されない無意味な物の中にいると 安心する。

1997/1/24


素敵なホームページ

旅に出られないので、その代用にネットサーフィンをする。インターネットの中は有名観光地のような 派手な所ばかりじゃないのがよろしい。インターネットの主要道から外れてどんどん山の奥に分け入れば, 田舎の風景が広がって来る。

リンク集に幾つか素敵なサイトを追加しました。 とりわけ、「遺跡と神社を巡る旅&その他いろいろ」 は良い。昔、亀が岡遺跡を見に木造町に行ったのだが、その後、SPAで木造駅舎 がすごい事になっているのを 知り、行けなかったことを後悔していた。まあ、あまり趣味のいい駅とは言い難いが、「木造町」の 遮光器土偶にかける情念の象徴なので、写真を撮りたかった。それで、上記のサイトにはこの木造駅舎の 写真があります。マンホールの蓋にも遮光器土偶のデザインがしてあるらしく、やはり「木造町」侮りがたし。 他にも、東北地方のストーンサークルや, 土偶の写真が豊富です。

別のサイトにも「木造駅舎」の写真がありました。 ここのホームページ(低レベル研究所)も、国道写真館や青森県の不思議スポット等, 素敵な物がいっぱいです。

「木造町」の魅力は、おらが町のアイデンティティは「遮光器土偶」だ!でも、それは文化庁にめし上げらて しまった。こんちきしょー!それなら町中, 遮光器土偶だらけにしてしまえ!というような情念にあるのだが、 ちょっとこれは誇張しすぎかな。幻想です。キリストの墓の「新郷村」も、そういう幻想の村である。 竹下総理大臣の時、「ふるさと創生資金」と称して、地方自治体に一律一億円が配られたという奇妙な 事件が有ったのだが、「ふるさと創生」は地味な町や村では難しい課題だったようだ。 日本一長い滑べり台とかベンチとかあほんだらなものを作って、顰蹙をかったものも多かったようである。 この時、村に眠っていた奇妙な名所が、立派に整備されて、いっそう珍妙な様相となったというのも多いだろう。

最初, 我がページは, 自分で実際に行って自分で撮って来た写真と紀行文だけで構成するという ポリシーを持っていたのだけど。考えて見れば、この巨大なインターネット空間の中を隅々まで探せば、 自分のお気に入りのスポットへのリンクが大抵はあるんじゃないかと思われる。 そういうリンクを紡ぎ合わせて日本大特異点地図を作るのもいいかなと思う。 確か、世界中の生き物に関するサイトへのリンクを紡ぎ合わせて, 巨大な系統樹を作るプロジェクトがあったが、 それのトワイライト版である。ああ、でも、しんどいな。

別に特異点でもなくても、普通のマイナーな風景に関するサイトを紡ぎ合わせて, インターネット上で仮想ドライブをする地図とかね。それは、ちょっと無理か。

1997/1/31


天は語らず。廃虚として語らしむ。

これは、僕が子供の時にやっていたNHKのドキュメンタリーの副題。昔のテレビ番組は厳かでした。

廃虚系の渋いサイトを発見→鴬会。 廃虚の中でも、鉄道系はいろいろな本の影響で今やポピュラーな趣味になっており、上記サイトのリンク集にも たくさんの廃線関係サイトが挙げられている。しかし、その他の廃虚、 廃屋とか廃村のサイトはさすがに 少ないようだ。上記のサイトには、北海道と東北の廃虚、廃屋の超渋い写真が掲載されている。 その中でも私は, 放置されているレトロな貼紙や雑誌、製品の類が好きである。 タイムカプセルの蓋を開けたような物だ。以前なんかの雑誌で、廃村探険のレポートが載っていたのを 見た。その村は、外部との交通路が登山道なのために、昭和初期ぐらいに集落まるごと捨てられた。 家屋はその中のものといっしょに、そのまま残されており、ゆっくりと朽ち果てている。 レポーターが家の中から昔の雑誌などを 見つけていた。当時の流行の文化がそのままパックされている感じである。 普通の町なら, そういう古い物は捨てられて, 新しい物に置き換えられてしまうのだが、 廃村は捨てられた時点での記憶がずっと残されて眠っているのだな。

わたしも、点線国道や廃駅を訪ねると、近くで廃屋に良く逢う。この場合、集落は健在なのだが、 その中にいくつか捨てられた家がある。廃屋は非常に物悲しい。愛されて捨てられたという 悲壮感が漂う。決して戻って来ない旦那をずっと待っているお婆さんのようである。 地元では幽霊屋敷などと呼ばれているのだろうな。 生き物が物になるまでの中間状態を遺体というそうだ。人間が作った物が、その本来の役割を終えて、 ただの物に帰るまでの長い中間段階が廃虚。 「昔は栄えていたんだよ。」と言いたげなモノを見ていると、ヒトもまた同じだと思う。

さて、廃線, 廃駅, 廃屋, 廃村と来れば、次は廃人を考えねば成るまい。 廃虚に一人たたずめば、こういう所を訪ねる己こそが廃人のようなものだなと時々思う。 (「廃」な気分になってしまいました。)

僕の「廃」な作品も見てね。

1997/2/2

追記

上記の雑誌は、青人社の「探検倶楽部」vol.1 (1995年7月発行)。 廃村は東京都西多摩郡奥多摩町の峰という所。

忘れられた看板

僕が好きなものの共通点の一つが、忘れられた看板、標識であることが分った。 印刷されたように大量生産されたパタン、あるいは、定型的, 形式的なパタンで、 本来、何かの指示や案内、宣伝などの機能だけを担っていた合理的で没個性な物体が、 その役割を解除された後に、徐々に風化し、周囲の環境に馴染んで変貌していくことで、 全く独特なモノになってしまったもの。 それは、与えられた平凡な仕事を健気にこなして来た人が、定年退職後は純粋に自分の為に生き、 独特になっていくような。機能性を捨てた後は、独自性だけが残り、それが発展していく。

風化した道路標識古いホウロウ看板、忘れられた天然記念物や名所の看板、 捨てられた駅の看板。もう誰も訪ねなくなった場所に今も残るかつての意味の証。 平安時代に遣唐使が廃止されて、日本独自の文化が発展したように、 人間に作られたモノも、人間の関与が失われた後に、モノ独自のやり方で進化変貌していく。 でも、人の価値観ではそれは進化とは言えないな。ただ、朽ちているだけだ。 でも、人よりモノに近い人の目には、それは朽ちているのではなく、進化しているように見える。 ステレオタイプで機能主義の新品の看板は、周囲の環境に喧嘩を売っているような、 違和感と緊張がある。でも、時の流れは必ず周囲と融和させる。 そして、最後にはすっかり周囲の環境に馴染んで融け込んだ古びた看板になる。
1997/2/11


ローカル線の午後

表題は菅野修という「ガロ」系の漫画家の単行本のタイトル。 小学館で「ローカル線の小さな旅」という本が出たので、買って見る。 最近この手の本は売れているのかも知れない。今度5月に日本交通公社の廃線の本のパート3も出ると言うし。 小学館の本は表紙が銚子電鉄(千葉県)の外川駅である。銚子は僕の田舎の近くで最も栄えている町なので、 子供の時から何度も行っているが、銚子電鉄に乗る機会はなく、初めて乗ったのはつい最近である。 ローカル私鉄の典型のような鉄道である。昔は遊覧鉄道とか行っていたと思う。国鉄銚子駅から 犬吠崎燈台まで観光客を連れて行くのが目的だったのだろうか。でも、車窓の景色は畑の中を走っているだけで 冴えない。でも、そういう冴えない景色は私は好きである。 犬吠の駅だけは派手で栄えているのだけど、林の中にポツンとあって、田舎のモーテルみたいだ。 海までも歩くと遠い。 むしろ、終点の外川駅がいかにも終着駅と言う感じで、古びていて、渋い。 外川集落は海の近くの高台に家が密集していて、何もかもが風化して丸くなっているような風情が 良い。狭い路地から海が望める景色は地中海の漁村みたい? ここを舞台にした、銚子版ロミオとジュリエット(外川の漁師と銚子の醤油商家がいがみあう。)が NHK連続小説の「みおつくし」でした。(沢口靖子主演) ジェームス三木のこの作品、かなり変でしたよね。

この本では紹介されていないけど、私の好きなローカル私鉄は、茨城県の鹿島鉄道。 JR石岡駅から鹿島に向かっていくつもりだったのだろうけど、途中の鉾田という町で終ってしまっている。 鹿島までは程遠い。でも、鹿島鉄道なのだな。実際は鉾田から鹿島に行く鹿島臨海鉄道という 別の鉄道があるのだけど。鹿島鉄道の終点鉾田駅と鹿島臨海鉄道の新鉾田駅の間は結構距離があるのだな。 鹿島鉄道は途中霞ヶ浦湖畔に沿って走っており、なかなか風光明媚なのだが、内陸に入ってからも とんでもない田舎地帯を通りなかなか良い。私は5月の麗らかな日に鹿島鉄道沿いに暫く歩いた事がある。 殆ど人と出会わない田舎道であった。特に借宿前という駅は駅前に小さい万屋が1軒ポツンと あるだけで周りには何もない渋い駅で落ち着きます。

今日、テレビ東京で廃線のスペシャル番組をやるみたい。筑波鉄道跡も探訪するみたいだな。 筑波鉄道跡なんて、筑波山以外他に見るべきものもなく、淋しい気持ちになっちゃうだけだと思うのだけどな。

1997/4/26

昨日、テレビ東京の番組を見た。廃線特集と言うよりは, 廃線にかこつけた普通の旅番組だが、 まあ、こんなもんだろう。良く分らないタレントが食ったり、飲んだり、温泉入ったりがメインである。 でも、通常は旅番組ではとても紹介されないようなマイナーな地域が、 廃線ブームの御蔭で紹介してもらえたと言うところはおもしろい。 あんまり、見せるものがないんで無理矢理なんだもの。

筑波鉄道では、関東鉄道の一室に各駅のプレートや桃山駅の時刻表などが保存されているのが紹介されていたが、 一般でも見学できるのかな?いずれ、筑波鉄道記念館を作るとか言っているけど。 それから、私も写真に撮った、さかた駅のプレートが道の脇に保存された経緯が紹介されていた。 さかた駅は私有地の中にあったそうで、その縁でその土地の所有者がプレートを譲り受けたそうである。 その人にとっては自分のうちの駅と言う感じであったそうだ。 ありし頃のさかた駅と今の廃駅の映像が連続して流れていた。 その他は土浦駅、新土浦駅、筑波駅が紹介されたぐらいで、後は筑波山とつくば学園都市観光巡りだった。 最初に、水族館付きレストランが, さも土浦市内にあるかのように紹介されていたが、 あれはつくば市にあって、土浦からは遠いので御注意を。

むしろ、面白かったのは未だ現役の青森県の南部縦貫鉄道だった。しかし、1997年5月5日に廃止されるそうである。 この鉄道はレールバスと言うやつで、線路の上を走るバスである。めちゃくちゃ揺れて乗り心地が悪そうだった。 細いレールもへろへろだし。 しかも、一日4本しか走っていない見たい。今まで良くもったな。 私も、日本中央碑を見に行った時、南部縦貫鉄道の西ちびき駅の近くと言う情報しかなかったので、 この駅前に車を止めて、周辺を探した事がある。(実際は、駅からかなり遠い) 小さな駅の中で休憩したが、レールバスが来る気配はなかった。 番組では日本中央碑公園も紹介されていた。

1997/4/27


幻の九十九里鉄道

JTB出版の「鉄道廃線跡を歩くIII」が出たので、さっそく買って見る。このシリーズも 比較的短い間にパート3まで出るので, かなり人気があると思えるが、実際、廃線歩きはかなりマニアックな 趣味で、実行している人はどれほどいるか。 この本もパート3まで来るとかなりきびしい物件、つまり、古すぎて現地に行っても痕跡が殆どないようなものも 紹介されている。そういう所に遠出して行くと、多分がっかりするんじゃないかな、大抵の人は。 まあ、廃線見物は益なき散歩の建前の理由というスタンスならいいけど。

この本では、私の田舎の近くの廃線跡が3つ程紹介されていた。やっぱり田舎なんだな、これだけ 廃線があるんだもの。特に九十九里鉄道は隣の町で、僕が生まれる前に廃止されているが、 家にあった古い地図で存在は知っていた。小学校の時に自由研究で「幻の九十九里鉄道を求めて」 という感じで、調査しようと計画したが、実現しなかった。実際に行っても殆ど痕跡がないからである。

今回GWに、かの本に唯一の最大遺構と紹介されていた脚橋跡を中心に見学に行く。 真亀川の橋の近くの県道沿いにあるバッティングセンターの駐車場に車を止めて、川に沿って田んぼの 中に入って行くと、線路跡が草に覆われた土手として田んぼの中に出現する。 これは、明らかに線路跡で、かの脚橋跡もすぐに発見できたが、なんと、その下を流れていたと 思われる川はもうない。しかし、この土手、言われなければとても線路跡とは思えない。 でも、こんな所に無意味に土手があるのも妙である。真亀川より北側は用水路になっているようである。 南に向かって歩く。土手の上は草が多くてとても歩けないので、並行する畔道を歩く。 田園から集落に入ると、鉄道跡は不思議な長い空き地になる。それは民家と道路の間にあり、 野原になっているところもあれば、ゴミ捨て場になっているところもあるが、一応その土地は 利用されず空けてあって、いつでも再び鉄道に戻すことが可能になっている。九十九里鉄道跡は、 廃止後35年たった今でも、土地だけは保存されているようである。 暫くすると、未舗装の道路になる。家徳駅跡と思われる場所まで言ったが、駅の痕跡はない。 特に栄えている訳でもない地味な集落である。

このあたりは、東金市になるのだが、東金市の間はそんな感じで、放置されているか、 未舗装道路になっている。九十九里町に入ると一転して立派な自転車道路になる。 もっとも、これが整備されたのはつい最近みたいだ。 この道が海まで続いているようである。

この現代遺跡(35年前の遺跡)の旅はどう考えても退屈じゃないか?僕はうちがすぐ近くだから 悔しくないけど。まあ、宝探し見たいなところが面白いのかも知れないが、 かのシリーズ本で、発掘調査し尽くされてしまったようだ。 他に、成田鉄道も紹介されていたが、これは戦後すぐに廃止されてしまったので、殆ど痕跡は ないようだ。だから、これは私の帰省路にあるのだが、訪ねなかった。 このレベルになると、現地に行って昔この風景の中を汽車が走っていたのだなと妄想するだけなのかな? 私の母親はこの鉄道の終点(八日市場)のすぐ近くに住んでいたそうだが、子供の時に廃止され、乗ったことは無いそうだ。 でも、戦争中、その父親が、いつもこの電車に乗って戦地から戻って来たそうである。

1997/5/7



1998年版に続く。

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