つぶやき編1998

本来、我が「日本特異点紀行」は、実際に旅に出て撮って来た写真を中心にした紀行文だけで 構成していくつもりだったのだが、それだと、次の旅に出るまでコンテンツを更新できない。 かと言って、忙しくなるとなかなか我が愛する無意味な旅には出られない。そこで、単に、更新している 実績を作る為だけに、ぶちぶちとよしなき事を文句垂れるだけのコーナーを作った。下らなくてごめん。

1997年もの(文句ぶちぶち)


いや〜ん国道の旅

点線国道もネタが尽きてしまった。後、清水峠行かないといけないが、一度失敗してるので、 また行くのはおっくうである。大体、行ったって何もないんだから。モチベーション低いよ。

そこで、新たな企画として、「いや〜ん、おうちに帰りた〜い!」と思わず叫びたくなるような、 酷い国道の旅でもしようかな。そんな国道なら山程ある。 例えば、国道140号を秩父から雁坂峠に方に向かう途中、信号付きの長くて細いトンネルを抜けて、 秩父湖に出てから、国道は2つに分岐するのだが、山沿いの道の集落(栃本)の中を行く道は、 細いけど何とか通れるが、下の方の秩父湖沿いの道は酷かった。国道標識立っているので 安心していると、だんだん道が怪しくなって路肩は曖昧だし、周りに何もないし、怖い怖い。

また、房総半島の山道国道410号も酷い道だったな。すれ違い不能、急勾配のつづら折り道。 でも、ここは2年程前にバイパス工事していたから, もう大丈夫かな。鴨川市と君津市の 境当たりだったかな, きついの。

でも、二度とこんな酷い目にあいたくないから、行きたくないや。

ここなんかは、そういう趣向のページ。 特に、308号なんか凄そうですな。

そういえば、信州悪路ツアーは、酷い道ばかりだったな。でも、上村で食ったそばうまかった。

1998/6/10


図鑑趣味と交通標識

今に比べてあまり物が豊かでなかった子供時代、新しい玩具とか雑誌とかあんまり買えなかったので、 テレビを見るぐらいしか楽しみは無かった。とは言うもの、いつでも子供向けの楽しい番組ばかり やっている訳ではない。そんな暇な時は、 家の中にたまたまあった古い雑誌とか雑誌付録とかをぼろぼろになるまで読んだ。 雑誌と言っても、子供向けの雑誌なんか無くて、農協発行の「家の光」とか。 狭い暗い静かな家の中で、しょうもない雑誌などに没頭し、未だ見ぬ世界を 夢見る子供である私を想い返すと心が落ち着くな。それが私の自由のモデル? もう、その家はこの世に無いのだけど。

比較的高学年になって、とりわけ好きだったのは、国土地理院の地形図 図鑑かな。 それを見ながら、未だ見ぬ場所や生き物を想像するのだ。 保育社のカラーブックスシリーズの「人里の植物」とか、その気になれば、 全部見つけ出すことができそうだった。あっと言う間に、かなりの種を通学路で 発見できたのだけど、それでも、限界があって、幾つかの植物は身近では見付けられない。 それでも、ちょっと遠出すると、探していたものが見つかったりする。 そうやって、植物図鑑は観察済みに塗りつぶされて行くのだ。 昔の図鑑は、写真じゃなくてイラストだったので、現物を見るとイメージが違っていたりする。 イラストだと、かなり変で、本当にこんな生き物いるのかよ!と、想像で胸膨らませるが、 実際見るとわりとチンケで、ちょっと幻滅する事も多い。 (変な鳥ポーターとか。) でも、とにかく、絵でしか見ていない物は、写真を見たいし、実物を見たい。 見たい。みたい。見たい! 見たからと言ってどうと言う事は無いのだけど。

子供の頃は、あそこにいけば、確実にあの生き物の現物を見れると分かっていても、 金が無くてとても行けないので、ずっと夢見てばかりの事もあった。 正に、「夢見る少年の昼と夜(by 福永武彦)」であった。 ヤッコソウなんか、 牧野富太郎の伝記を子供の時に読んだ時から知っていたけど、 実物を見たのは, ずいぶん大人になってからだしな。 ニュースステーションで、ゴクラクチョウとかフウチョウとかを求めて探検する 企画をたまにやっているが、それの凄くスケールの小さいようなことは幾らでもできる。

さて、珍しい生き物の探索は、なかなか大変なのだが、もっと簡単そうなもの もあるだろう。例えば、交通標識、これは昔から基本的にはあまり変わらない。 免許更新時に貰う「交通の教則」に、標識図鑑がある。 で、大抵は見た事あるのだが、見た事あったかどうか定かでない物もある。 路面電車系「安全地帯」とか「軌道敷内通行可」は、多分京都とか鹿児島で見たような。 「自転車以外の軽車両通行どめ(荷車マーク)」も、どこかで見た記憶があるが、 定かではない。 確かに、標識の出現頻度はかなり異る。見る物はいやと言う程見るが、見ない物は 全く見ない。無論、場所がらというのもある。上記の路面電車系もそうだが、 山系(「落石のおそれあり」「警笛鳴らせ」)、田舎系(「路面に凹凸あり」「すべりやすい」 「動物が飛び出すおそれあり」)などは、あるところには集中してある。 逆に都会でしか見ないのが「歩行者横断禁止」「専用通行帯」「路線バス等優先通行帯」 「時間制限駐車区間」など。 あんまり見た事無いなと言うのは、「並進可」「停車可」

標識関係の話題:(1)変数付き標識(速度制限など)の珍しいものを競うサイトあり。 (ここ。 中山トンネルいいなあ。)
(2)「動物が飛び出すおそれあり」の動物は何故か鹿なのだが、これはアメリカの標識の 鏡像バージョンらしい。しかし、 鹿以外の動物を使ったものも多いらしい(熊、リス、狐、狸、牛など。)
(3)「その他の注意(びっくりマーク)」は、大抵補助標識で何を注意するのか書いてあるようだが、 変わりだねもあるんだろうね。タモリは幽霊出没というのがあると言っていたが、ネタだろうか?
(4)比較的複雑な図柄の標識、特に人間がいるやつ(「歩行者専用」など)は、 デザインが崩れて凄いのがたまにあるそう。とり・みきがマンガに書いていた。 殆んど宇宙人状態の「歩行者専用」標識とか。 スタンダードからの逸脱と言うのも面白い。
(5)インターネットの中にも腐った標識はある。(こことか。) インターネットとは、最も過剰な情報源の事だが、実際は、殆どが冗長。 冗長なノイズをかき分け、特異点に到達するのは大変。 現実に於いても、インターネット上でも、腐った標識はなかなか見つからない。

1998/7/30

追記

見慣れない標識。「自転車以外の軽車両通行どめ(荷車マーク)」は、大阪池田市の陸橋の舗道で 昔見たような気がする。坂道の舗道は、自転車以外の軽車両は危ないと言う事なのか。 また、自転車以外の軽車両の為の代替ルートもあることも条件かも知れない。

「安全地帯」標識は東京の都電にはないらしい。そもそも、路面通行する部分が殆どないらしい。 関東で他に路面電車のある所って無いよな。関東には「安全地帯」標識はないのか? うーむ、関東は他に東急世田谷線があるだけらしい。東北地方には無いみたい。(ここより)。 しかし、他の文献によると、東急世田谷線は路面電車じゃないみたいだな。 まさか、路面電車以外に「安全地帯」標識ってないよな。 インターネットで調べると、函館と鹿児島にはやはり「安全地帯」標識があるみたいだ。 私も、鹿児島で見たような気がする。また大阪にもあるようで、唯一インターネット上で 見つけた「安全地帯」標識写真がこれ。 あ, ここにも(福井)。 安全地帯をキーにしてサーチすると殆ど無いけど、路面電車でサーチすると「安全地帯」標識写真が いっぱい出て来た!(広島, 豊橋, 富山) 「軌道敷内通行可」も近くにあるのかな? 膨大な数の路面電車写真があるけど、これはなかなか見つからない。

「並進可」は見た事無いな。インターネットで探しても引っかからない。これって、バイクか自転車の 専用道路?かなり特殊な状況では? 「停車可」は見た事があるような気もするのだが。駐停車禁止区域の中で、ここだけは駐車は駄目だけど 停車はしてもいいよと言う所か。

1998/8/5


地域限定レア物

自然物なら地域限定物と言うのは珍しくは無いだろう。天然記念物なんて大抵そうだ。 もっとも、身近にそんなものがあるかと言うと、大抵は無いだろう。 地域限定物のあるポイントは特異点である。 ある地域では、普通に見掛けるのに他の地域に行くと全く見掛けないものもある。 オナガという鳥は、関東ではヒヨドリ並に普通だが、関西には全然いない。 カササギという鳥は福岡では普通だが、他の地方では殆ど見られないと言う。 (大阪の通天閣に巣があるという噂を聞いた事があるが。) シラコバトという鳩は、埼玉の越谷では普通に見られるが、他の地域ではあまり見られないと言う。 生き物は、似たような環境であれば、できるだけ広い範囲に生息しようとするだろう。 地域的に限定して生息する生き物は、生息に適した環境条件が厳しかったり、繁殖力が 弱かったりして、結果的にある地域にのみ細々と生き残っているというものが多いだろう。 でも、この連中はその地域では非常に栄えており、他の地域でも十分やって行けると思うのだが、 とりたてて、他に行こうという気もない連中なのだろう。たまたま、そこにいる事にしたのだ。

さて、交通標識の中でも、安全地帯のマークは、どうやら東北と関東には存在しないようである。 日本全国でも数える程しか無いだろう。 某資料によれば、路面電車は国内に19箇所しかないようである。 北海道を抜かせば、殆どが西日本の都市である。 関東の人間は、一番近くても豊橋までいかないと安全地帯のマークは見れないんですね。 豊橋に行けばいっぱいあるみたいなんですけど。

それでも、安全地帯とか「軌道敷内通行可」や「黄色矢印信号」は、あらかじめ国内の 全ての路面電車区間が把握できているので、国内のすべての標識をキャッチする事が現実的に 可能であるが、たぶんやはり数える程しかないだろうと思われる「並進可」なんかは、 探しようが無いな。

1998/8/6


道路標識あれこれ

きしゃにちゅういというページを発見。 ここは、「汽車」の描かれた「踏切注意」の標識を発見してレポートすると言う楽しい企画をしている。 「踏切注意」の標識には電車バージョンと汽車バージョンの2つが現役で存在する。 比較的最近まで汽車バージョンしかなかったのだが、「蒸気機関車(SL)なんかもう殆ど無いのに、あのデザインは おかしい。」「子供があの図形は何を表しているのが分からないと言っている。」とかクレームがついて、 慌てて電車バージョンを作ったと言うような事を新聞で読んだような気がする。 でも、標識は単なる記号だから, あまり気にしなくてもいいような気がする。 安全地帯が何でVの字なのかも良く意味が分からないし。 「動物が飛び出すおそれあり」は鹿のデザインだけど、鹿が飛び出すとは限らないだろう。 (独自の動物の標識もあるそうだが、これって正式な標識として認証されているのかな?) 道路標識のデザインって, 良く見るとふざけているよな。「すべりやすい」って、いかにも すべりやすそうだが、轍が交差するのはやりすぎだろう。これについてはクレームがつかないだろうのか?

道路標識の中の人々に注目してみよう。人間の場合は、頭や手足の比率がやたらリアルである。 実は、この比率は計測に基づいているらしく、この図章をデザインした人を私は知っている。 しかし、ここに出て来る大人は、なんでみんな帽子かぶっているんだろう。 あんな山高帽みたいの、今時かぶっている方が珍しい。男の子と女の子が出て来るのは 「横断歩道」と「学校、幼稚園、保育所などあり」だが、似たようなデザインだが、微妙に違う。 「横断歩道」の女の子は室内TVアンテナみたいなりぼんを付けているのだが、 「学校、幼稚園、保育所などあり」の女の子は帽子をかぶっているように見える。 男の方も帽子が微妙に違う(学帽と野球帽?)みたいで、通学時と一般生活時を区別しているのか? 「歩行者専用」の女の子も「りぼん」らしきものを付けているようだが、このデザインが変に崩れていて、 奇妙なのだ。りぼんと言うより角に見えて、小さい宇宙人を捕獲したようだ。 実際、かなり崩れたデサインの奴は、正にそのように見えると, とり・みきが漫画の中で言っていた。 最近は、カップラーメンのCMで、おじさんが女の子を置き去りにして、ラーメン食べに行っています。

交通標識収集趣味としては、国道や県道標識の収集と言うのはインターネット上でもいくつか 見られるが、次のような観点での収集趣味も考えられるだろう。

(1)現行標識でも珍しいものの収集。分布の分析。
(2)変数が入っている物は値の特殊なものを見つける。(例:標識選手権) 国道標識の国道番号収集はインターネットでは比較的ポピュラーですね。 (例:国道写真館, 日本の国道, 岩部さんのほーむぺーじなのだ, 国道わお!, 標識いろいろ) また、地名表示標識収集も流行っています。(例:市町村界標識のページ)
(3)補助標識に拘る。「その他の注意」など。
(4)デザインのバリエーションに拘る。手書き下手うま風のデザインが時々ある。(とり・みき系) (例:きしゃにちゅうい:へたうまバージョン)
(5)デザインの変形による、意味の拡張。言わば独自の標識の創出事例。 (例:変な標識, 井関の登坂車線, 動物警戒標識)
(6)破損、風化した標識を鑑賞する。赤瀬川原平のトマソンでは蒸発タイプとしてあつかれている。 旧道等の取り残された標識というのもある。 (例:旧旧国道170号線 紀見峠, 上大島駅)
(7)古いバージョン/タイプの収集。「踏切あり」の場合は、一応共に現役である。 日本中に莫大な数あると思われる「踏切あり」の標識を新しいものに一斉に 切替えるのはお金の無駄使いである。よって、旧バージョンもまだたくさん残っているだろう。 決して、汽車バージョンの踏切にSLが走っている訳ではないだろう。 実際、古い標識って放置されることが多いようだ。放置された用無しの古い標識は 考古学の対象だ。

実際、今は使われていない古いタイプの標識が未だ残っているのを時々見る事がある。 それは、縦長の長方形のやつで、上部には今の標識と似た記号が描かれ、下部には 英語と日本語で説明があった。多分緑色に統一してあったように思う。 英語の説明がある事から、米軍占領時代に建てられたものだと思う。 私は、最近、こういう標識を千葉県佐原市で見たような気がするのだが、定かではない。 残存する旧タイプの全てのパタンの標識を収集するのは極めて困難であろう。 これは、古い切手収集趣味の野外版と言える。

以上では、道路標識に限って、収集趣味の可能性を探ってみた。 収集趣味の王様である切手やコイン(最近はテレカ)も、レア物やエラー物, 独自の観点での系統的収集などというナンセンスな事に情熱を燃やしている。 ただ、これら物系は投機の対象になるのでピュアな趣味とは言い難い。 一方アウトドア系は、投機になりづらいから純粋にナンセンス趣味で、 興味を持つ人も少ないだろう。(クリストの所有されない芸術や赤瀬川の路上芸術, 超芸術 に通じる。ってほんまかいな?)

アウトドア収集趣味の王道は、鉄ちゃん系(鉄道趣味)かな。専門誌もいっぱい出ているし。 この鉄ちゃん系の中のエキセントリックな流派が廃線趣味なのだが、これは予想外にブームに なって、関連書籍, 雑誌特集、CD-ROM, ビデオ, 特別番組など最近ばんばん出ている。 渋系の極みだが、本当に廃線探索する人がそんなに多いとは思えない。 だって、行ったって実際何もないし、行くのしんどいよ。 インターネット上では国道趣味もそこそこ流行っているようだが、さすがに国道系の 書籍はあんまり無いね。

私は、道路標識に限らず、エキセントリックな野外の収集趣味と言うのを系統的に考えてみたいと思う。 僕のリンク集は、そんな感じのホームページを集めている。 自然物の収集、分布分析が最もアカデミック(生物地理学)なのだが、それに準じた人工物の 収集。無論、建築物や車両の収集はとってもメジャーで、エキセントリックではない。 廃線も一挙にメジャーになってしまった。古い石造物(石碑、石仏、神社仏閣関係)も アカデミックかな。路端の道祖神や馬頭観音などに興味を持った事もある。 こういうのって、地元の郷土研究家が研究して、地元の広報誌に載せたり、 自費主版したりする事が多いな。これも古風なメジャー趣味と言う訳だ。 ホウロウ看板や 自動販売機なんかは、インターネットで若干流行っている新手の収集趣味だ。 他に、マンホールの蓋とか、火の見櫓とか、三角点とか文学碑とか。 また、宝島のVOWのような楽しみ方もあるだろう。

やはり、パターンの栄枯盛衰というものに興味があるのだ。必要で流行っている時は 大量生産されるパターン。駐車禁止の標識みたいにね。そんな恐竜みたいに 栄えた物も社会状況の変化で一挙に滅亡し、化石しか残っていなくなるかも知れない。 野外には、商業系や公共系入り乱れて、さまざまなパターンが、 植物のように空間を奪いあっているようにも見える。線路や道路に集まる看板の群れは, 蜜に集まる虫のようだ。 私は、そういう生存競争に結果的に敗れて、各地にてんてんとひっそり生き残っている 絶滅寸前のパターンを収集して歩きたい。

この手の研究で、ちょっと危ない系のものには、ペトログラフというのがあって、 それは人工のパターンと自然のノイズの境界線だったりする。

追記

旧型道路標識に関するページを発見した。 これによると、昭和38年まで使われていたそうだ。上で述べたことの幾つかは間違いで、 上部が日本語, 下部が英語、真中が記号になっている。また、現行のブルー系の標識が緑色なだけで、 すべてが緑と言う訳ではない。必ずしも全てが長方形では無いみたいだ。 一時停止の旧標識はどこかで見たような。安全地帯や軌道内通行可の旧標識は絶対残っていないな。 とりあえず、図鑑は手に入った。(全ての一覧じゃないようだが。) 後は、残存場所の緯度経度を図の下に書き込んで行くだけだ!(今の所、確認済み無し。)

1998/8/10


点線国道について考える

点線国道に関する重要な資料を入手した。建設省道路局監修、全国道路利用者会議発行の 「道路ポケットブック」1997年版である。 この中に、「一般国道における交通不能区間の状況」という表がある。 平成8年度末の状況で、このような区間は38路線49箇所あるようある。 表は、「路線名(国道番号)」「県名」「不能区間延長距離」「事業名」「事業延長距離」 「事業状況」からなる。 私は、勝手に、点線国道を幅員1.5m未満の国道と定義したのだが、本来は、この 表に載っている交通不能区間を点線国道と言うのかも知れない。

しかし、注意すべき事が2点ある。(1)この表に載っていても、国土地理院の地形図に 国道として表記されていないので、経路が不明のものがある。 道路法によれば、国道は(海路も含め)途中で切れる訳にはいかないようなので、交通不能区間でも 形式的に何らかの道が国道として扱われているものと思われる。でも、詳細な経路が書かれた資料が 分からない。「一般国道の路線を指定する政令」は各国道毎に路線の概略が記述されているが、 詳細は分からない。だから、国土地理院の地形図ぐらいが、経路が分かる資料なのだが、 これが、結構いい加減な気がする。1/25,000と1/50,000で不統一だし。 (2)交通不能の定義が曖昧。例えば、この表には、国道410号の鴨川〜君津間の100mが交通不能と あるが、数年前、私が行った時には, 車で通行困難ではあるが、通行不能ではなかった。 ただし、その後、崩落などあって通行不能になったのかも知れないが。

いずれ、時間があったら、このリストを我がページ上に掲載しようと思うが、 今回は幾つかのデータだけ示したい。まず、18箇所以外では何らかの事業が展開されており、 交通不能は解消されつつあるようだ。しかし、18箇所はそういう事業が展開されず、 真性の点線国道と言えるだろう。また、不能区間が峠にあるものが圧倒的で、 26箇所は峠名がついている。

1998/8/24


旧型道路標識を夢見る

昭和38年に廃止されたと言う旧型道路標識については エムズコレクションのページで、 ステッカーを売っています。1枚500円で買いましたが、とても小さいです。これ、鉄道ミニチュア模型 用のものですから。他にも、現行標識や、ホウロウ看板(水原弘や由美かおるなど)もある。 さて、この旧型道路標識ステッカーは昭和35年ごろのものを中心にして集めたそうだが、 田舎で昭和33年の自動車教習本を見つけた。33年物と35年物でデザインが微妙に違うんだな。

禁止標識、指導標識、指示標識に関しては、旧型標識のフォーマットはほぼ統一されていて、 縦長長方形で、上から日本語説明、絵文字、英語説明というパタンだ。 例えば、は駐車場である。例外は一時停止と回り道で、一時停止は、8角形で上から「一時」 「STOP」「停止」となっている。(35年版は「一時」「止まれ」「STOP」になっている。)

絵文字部分は現行標識と似ている物が多い。しかし、微妙に違うのもある。 33年物の図だと、「自動車通行止」の自動車がジープを 横から見た図だったり、「歩行者通行止」ではおじさんが杖を付いていたりしている。 (これ、本当かな?)

「警戒標識」は、黄色の菱形で、現行の物と殆ど同じである。例外は「学校あり」「危険」「注意」。 「危険」「注意」は、「危険、DENGER」「注意、CAUTION」とただ書いてあるだけの単純な物で、 これらは廃止になったのが比較的最近だと思う。実際、このタイプの「注意」は今でも時々 見掛ける。 「学校あり」は35年ものでは現行の物とほぼ同じデザインである。(微妙に違うのかも知れないが。) これを、良い子バージョンと呼ぼう。これに対し、33年物は、であり、 元気な子バージョンとでも言おうか。元気な子バージョンの「学校あり」標識残骸を何処かで見たような おぼろげな記憶が。現実か夢か定かでない。 実際、良い子バージョンですら歴史は古く、殆ど真っ黒に錆びてしまったが、ぼんやりと 痕跡が残っている物が多い。それゆえ、元気な子バージョンが野外で残存している可能性は極めて 低いので、きっとあれは夢だったんだろう。

旧型標識が今でも何処かで眠っているのかもしれないが、そんな無意味なもの誰も注目しないので、 ただ、そこにあるだけである。人間から解放された標識と言うか。 忘れられた旧道の傍らで野の花に紛れて立つ朽ち果てかけた旧型標識の夢を見る。

1998/8/31


JAF-MATEに怪しい標識

JAF-MATEの標識/看板博覧会は、基本的には宝島のVOWの2番煎じという感じの物が 多いが、稀にJAFならでは(?)なネタがあって感心させられる。今回、 「指定方向外通行禁止」標識の異常に複雑になったものが載っている。 どこで撮影されたのか 分からないのが残念だが、仮にそれがどこか分かってもわざわざ見に行きませんけどね。 (前に、同じコーナーに載っていた国道289号の木製支柱国道標識 はわざわざ見に行きましたが。)

「指定方向外通行禁止」は「道路標識、区画線及び道路標示に関する命令」には、6種類 例示されていますが、この6種類だけが正式な標識図章という訳ではないようだ。 道の実体に合わせて幾らでも複雑に成る余地がある。そういうデザインの多様性の可能性のある 標識クラスは他にあるだろうか?もちろん、案内標識や補助標識は文字列が幾らでも変わるし、 数字の入った規制標識もそうだろう。(しかし、補助標識や規制量はそんなに多様でもないようだが。) 図形的デザインに自由度があるのは、「指定方向外通行禁止」と警戒標識の一部 (「T型道路交差点あり」など。)ぐらいだな。

しかし、警戒標識では、例示されていないものも 良く見るが、それらは本当に正式な標識と言えるのかな?一応、「X型道路交差点あり」 という名称 なのだが、このXに入るのは文字ではなくて、図形なのだ。たまたま, T型やY型は読む事ができるが、 +型は, 十字型? プラス型? また、もう一つのタイプは横向きT型と言うのかな? さらに、一覧表に挙げられていないタイプの道路交差点は呼びようが無い。 (地図の水田マークを縦にした形とか。) 声に出して読めない名称を持った標識。 (かつてプリンスと呼ばれた男マークみたい。あるいは梵字? これは読めるか。) この標識の名は、「この標識に書かれている図形型の道路交差点あり」ということか。 いずれにしても、警戒標識はそれほど複雑になることはできないようだ。

いっぽう、規制標識である「指定方向外通行禁止」は、その気になれば幾らでも複雑になる可能性がある? JAF-MATEに掲載された物は、複雑さがMAXになった特異物件なのだろうか? それとも、もっともっと複雑なパターンが存在するのだろうか? こんなことを考えても、どうしようもない。調べようもない。また、調べた所でどうと言う事は無い。 ただ、極度に複雑化した「指定方向外通行禁止」標識を発見して狂喜する夢を見るのだ。嫌だな。

基本的には、道路標識のデザインには変化する余地は殆ど無い。各パーツの比率とかが ある程度決められている。でも、大まかにしか決められていないから、いろいろデザインの 微小なバリエーションは存在する。「学校あり」なんか、頭と体の比率がまちまちで、 推定年齢がいろいろ変わっているように思われる。でも、それは意識しなければ認識できない程度の 変動だ。

標識の文法を守った独自な標識もある。例えば、最近良く見るのが、「自転車駐車禁止」。 「駐車禁止」に自転車の絵が書いてある奴。これなんか、本物の道路標識っぽいけど、 本物じゃない。他にも、私が幾つかそういう偽物標識を採集した。 これらの偽物標識が廃止された旧標識の面影を持っているのは偶然だろうか? (「走る子ども」とか「杖を持つ人」など。) これらの偽物標識は、いくら頑張って本物らしく装っても所詮偽物なのだ。 一方、「指定方向外通行禁止」は、本物の標識でありながら、その厳しい制約の中で 自由を追求しているので偉いなと思う。学生服が、その制約下でも、ファッションのバリエーションを 進化させたような。がんばって欲しい。

1998/9/24


モアイとモヤイ

昨日深夜、所ジョージ氏のやっている番組で、モヤイ像の特集をしていた。 残念ながら、最初から見れなかったのだけど、渋谷にあると言うモヤイ像 (私は未だ見た事が無い。)はイースター島モアイ像とは違うそうである。 日本にあるモヤイ像は全部で17体ということで、全国モヤイ分布図を出していたが、 そこにはモヤイではなくモアイが間違えて描かれていたので、所さんが怒っていた。 どうも、モヤイというのは、新島で取れる特殊な石を加工して作った彫刻のようで、 当初は新島の特産品として期待され、東京中心にあちこちに贈られたそうだが、 すぐに飽きられて、今は、その特殊な石はガラスを作るに使えると言う事で、 新島の特産品はガラス加工品にシフトし、新島にたくさんあるモヤイも 融かされてガラス加工品にされているようである。 (多分、日本にあるモヤイ像は全部で17体というのは、新島は抜かすようだ。 新島には今でもたくさんモヤイがあるとか。) でも、新島のモヤイはあまり愛されていないようで、いろいろ悪戯されており、 番組で作者が激怒していた。 本土のモヤイは、公園等でひっそりと暮らしているようだが、蒲田に あったとされるモヤイが行方不明になっていて、番組で調査した所、 再開発の邪魔だと言う事で、区役所で預っていたそうだが、 駐車所の人目のつかない所に、横だおしにされて天ざらしだった。 目の窪みには雨水が溜り、泣いているようだった。

なかなか、いい番組だったな。村興しとして無理矢理流行らせようとしたが、 すぐに飽きられてしまった極端なケース。 多分、バブル期に、これと似たような意味不明の彫刻があちこちに出没したと思う。 今となってはバブル期の遺跡として風化しようとしている。 ひょっとしたらバブル期は日本の景気の頂点となって、この先二度とこの 頂点を越える事はないのかも知れない。そういう千年単位ぐらいでの特異時期だった バブル期の代表遺物として、これらの遺物はずっと残って行くかも知れない。

結局モヤイとモアイの関係は分からなかったのだが、新島のはるか南東の イースター島のモアイ像は世界の謎としては定番だ。子どもの時は、 僅かな写真とイラストの情報しか無かったのに、とても有名なので、 さぞかし異様な風景なのだろうと想像を膨らましたものだ。 今は、日本の企業が金を出して復旧保存に努めているらしい。テレビにも良く出る。 なんでも、イースター島の人達はモアイ建造に関する文化的記憶がほとんど無いらしい。 文字が無い文化では当然か。これらも、ある文化の爛熟期に争うように 建てられたが、ある時期に急にうち捨てられてしまったらしい。 規模は違えどモヤイもおんなじだ。ただ、残念ながらモヤイは17体しか増殖できなかったんだけど。

1998/10/21


並進可標識って実在するの?

並進可標識って見た事ないような気がするので、探してみた。 そもそも、見た事がないので、最初その意味が分からなかった。オートバイも並進可なのかなと。 しかし、並進可なのは自転車だけらしい。自転車だけに適用される珍しい標識だ。 そもそも自転車専用道路と言うのが、あまり存在しない。 大抵は、歩行者自転車専用道路だ。 アテネ書房の「自転車コースガイド(関東エリア)」という本の巻末に関東地方のサイクリングロード一覧と言う 資料があったので、手近な茨城、千葉、東京のサイクリングロードを幾つか調査したが、 自転車専用道路の標識があったのものすら僅かだった。

並進可ということは、それなりの幅員がある自転車専用道路じゃないと可能じゃないだろう。 かの資料には幅員も書いてあるのが、大抵は5m以下である。 ずば抜けて幅員の大きい自転車道が、南砂緑道公園と洲崎川緑道公園にあるのだが、 調べてみると、自転車専用道路と歩行者専用道路が並列に走っているだけだ。 自転車専用道路にはセンターラインがあり、その1車線は並列可能な程広くはなかった。

この数ヵ月、並進可標識を求めて、あちこちの自転車道を訪ね歩いたが、目的は果たせず、 もう疲れてしまった。 特殊な公園とか施設とかにあるのだろうか? 実際、並進可な程広い自転車専用道路なんて公道としてありうるとも思えない。 公道には並進可標識なんかないのかも知れない。標識一覧図の中に載っているだけで現実には 存在しないのかも知れない。

そもそも、中国みたいに公道の主役が自転車の時代、何もなければ自転車は並進して走るのが 当り前だった。しかし、自動車が増えて行くにつれ、自転車の並進運転は、自動車の運転を 妨害するものとして問題になった。日本の新しい基幹産業としての自動車産業を育成するためには、 国内の自動車需要を増やす必要があり、そのためには、公道から自転車並進運転を追放せねば成らない。 自転車並進運転は極めて自然な行為なので、それを規制するためには新たにシンボルとしての 並進可標識を作り、この標識がない所では並進不可であるということを大衆に徹底的に 認識させなければ成らない。(並進禁止の標識ではまずい。並進可が標準となってしまうからだ。) そして、各地域の極限られた場所だけを並進可にし、その他の場所で並進しては行けないということを 啓蒙した。本来、並進運転を撲滅するのが目的だったので、認識のための目的が果たせた後は、 徐々に並進可区域を減少させ、とうとう、書物の中だけの標識となったのかも知れない。 いや、最初から並進可標識など現実に存在した事などなく、書物の中で存在を匂わせておくだけで、 自転車並進運転は禁止されていると言うことの教育効果はあったかも知れない。

98/11/27


素晴らしい道路標識の歴史

建設省道路局のページに 「案内標識の歴史について」という素晴らしい資料を発見! 以前、道路標識の資料を求めてWebや図書館を探しまわったのだが、ろくな資料がなかった。 建設省道路局のHPにも昔行った事があるが、大したものはなかった。 古い標識についての資料は、家にあった昭和33年の自動車教習本と, 交通小六法しか持っていない。 交通小六法には道交法改正の歴史が書かれているが、道交法以前の事は書いていないし、 標識図面も現在のものだけしかない。 上記のページは、まさに求めていたものだが、残念ながら建設省の管轄が案内標識だけなので、 案内標識以外の図面はない。警察庁のページにも, 案内標識以外の歴史年表の掲載を望む。

しかし、建設省の標識年表だけでも学ぶ所が多く、興味深い。 まず、近代以前の道路標識と言うのは、いわゆる「みちしるべ」で, 統一的なデザインなど なかった。石でできた道標は今でも非常にたくさん残存する。

初めての統一的デザインの道路標識は明治32年の警視庁「制札制文例」によるものだが、東京府下のみだけである。 これは、建て札である。

大正11年の内務省令「道路警戒標及び道路方向標に関する件」で、初めて全国統一の標識デザインができた。 残念ながら、案内標識のデザインしか分からないが、これだけ見ると建て札に比べれば、かなり今風である。

その後の変化は昭和17年の内務省令「道路標識令」で、これで、前回の内務省令「道路警戒標及び道路方向標に関する件」 は廃止になり、ヨーロッパ方式による記号式になったそうだ。しかし、案内標識以外はデザインは不明。

昭和25年に、総理府・建設省令「道路標識令」改正があり、ヨーロッパ方式による記号表示に日本文、英文を 入れるようになったそうだ。多分、この時点のデザインが私が以前取り上げた旧標識デザインに当たるものと思われる。 このデザインは昭和38年の総理府・建設省令「道路標識区画線及び道路標示に関する命令」第2回改正まで生き残った。 しかし、昭和7年〜昭和25年の間も、日本文、英文が入ってはいないものの、デザインは同じだったのかも知れない。 そう考えると、大きな標識デザインの時代区分は、第1期(大正11年〜昭和7年), 第2期(昭和7年〜昭和38年), 第3期(昭和38年〜)となる。

昭和35年総理府・建設省令「道路標識令」は廃止、 総理府・建設省令「道路標識区画線及び道路標示に関する命令」が 制定されたが、標識のデザインの変更はなかったよう。 実は昭和28年に国連が国連標識を各国に報告したそうだが、翌年, 日本は加入を保留した。 そして、昭和35年の新令制定に当たり、国連標識の採用が検討されたが見送られたそうだ。 いよいよ、標識統一も世界レベルになったのだが、興味あるのはなぜこの時点で見送られたのかだ。 結局、3年後の第2回改正で国連標識が採用され、デザインの大変革が起きた。 その後、現在に至るまで案内標識以外では大きな変化はない。

さて、案内標識は、他の標識とは管轄が違うので、デザインの変化も異っている。 大まかには色と、ローマ字併記が変わっただけだ。 昭和25年総理府・建設省令「道路標識令」改正で採用された案内標識は、白地に黒字もしくは青字で、 矢印は赤色、ローマ字併記であった。このタイプの案内標識は今でも良く目にする。 他のタイプの標識と違って、旧タイプ狩りをする緊急性もなく、江戸時代のみちしるべのように 生き残っているものと思われる。 一方、警察管轄の指示標識や規制標識などは、目立つ所からは徹底的且つ速やかに旧タイプは除去されたものと 予想される。だから、旧標識は警察の目を逃れた場所にたまたま残存するしかなかったのだろうが、 今やほぼ絶滅と言っていいだろう。

昭和37年に案内標識の改革があった。(他の標識の大改革は昭和38年) 「方面および方向」が青地に白文字で、今風になった。ローマ字も併記している。 また街路の名称が追加された。「街路の名称」標識は、昭和61年にデザインが変わるが、 この旧デザインも未だに多く残存する。 昭和38年に高速道路用の標識(緑色系)が大量に採用された。

昭和46年に案内標識の大改革があり、昭和37年の改革方針(青地に白文字)が徹底された。 経路案内は青地に白文字。地点案内は白地に青文字に基本的に統一された。 また、ローマ字併記が"禁止"された。なぜ、この時期に? 国粋主義の高揚? その後、昭和61年にローマ字併記は復活しているのだ! また、細かい事を言うと、昭和46年大改革に先立つ事、昭和44年に、地点案内は 白地に青文字になっている。しかし、昭和46年大改革で字が太くなっている! また、昭和46年大改革の大原則の例外が1個だけあって、著名地点に白地に黒文字 のものがある。(矢印と距離が書いてあるタイプ。)

昭和61年の改革で、ローマ字併記は復活した。それから、「街路の名称」が 「道路の通称名」に 変わり、デザインも変化した。古いデザインは細長く、先が徐々に細くなっていて、 美的だが製作にコストがかかりそう。新しいデザインは機能的で、コンパクトである。 しかし、つまらない。

このように戦後の案内標識は、昭和25年から昭和37年までの白黒の時代。 昭和37年から昭和46年までの青の時代のさきがけ、 昭和46年から昭和61年までの 青の時代の完成と国粋主義の時代、 昭和61年以降の国際化の時代に分かれるだろう。

ローマ字併記は昭和46年から昭和61年までの間中断されていたが、この前後のローマ字規則は 微妙に違うようだ。基本的にヘボン式(ヘップバーン式)なのだが、 長音の表し方が違う。 旧版では, 小学校でならったように、長音の上には"^"を付けた。 この記号は外国人に分からない(日本固有?)と言う理由で、現在はつけない事になった。 すると、現在の標識方式のローマ字は長音と単音を区別できないので、 日本語の美点である音と表記の一対一対応の原則が崩れたと言う事である。

本当は、こんな一対一対応の原則は、そもそも存在しない。英語よりはましだというだけだ。 まず、一つの音に複数の文字が対応するものに「お」と「を」がある。表音文字に徹し切れていない。 殆ど完全な表音文字であるのに、ここだけ、規則を破っている。 そもそもは、「を, ゐ, ゑ」は「お、い、え」と音としても違っていて, かつては完全な表音文字 だったようだ。でも、「を, ゐ, ゑ」の固有発音は廃れてしまった。 逆に一つの文字に複数の音が存在するのが、「が行」。 ゴリラのゴ(g系)と、りんごのご(非g系)は発音違うよね。これって、語頭か語中かの違いによるのだろうか?

1998/12/2


果てしない道路標識の世界

前回は日本の道路標識の歴史に注目した。残念ながら案内標識の歴史が明らかになっただけで、 その他の標識デザインの移り変わりについては分からないままだ。 しかし、日本の標識デザインの変遷は、国際的標準化の影響を受けていることが分かった。 交通の混乱やコストを考えれば、できる限り標識デザインは変えたくないだろし、 実際、標識デザインが大幅に変わった事は僅かしかない。 その一つが、国連標識の採用で、昭和28年に国連ジュネーブ会議の結果が報告されたにも係わらず、 実際に導入されたのは、10年後の昭和38年である。これが最も大きなデザインの大変革だった。 実は、昭和43年に、再びウィーン世界道路交通会議「国際標識及び信号に関する条約」というものが締結されたが、 日本は今だ加盟していないようである。あれから30年経ってもそのままなので今後も加盟する事はないのだろう。

さて、今度は、時間軸から空間軸に目を向けてみよう。世界の道路標識に関するページは意外と 豊富だった。そのデザインの大枠の共通性と細かい差異が面白い。 道路標識と言うのは最大規模のピクトグラム(絵文字)で、アルファベットのように大枠の共通性があるらしい。 しかし、文字で言う所のフォントの違いに当たる微妙な差は、絵文字であるがゆえに、 アルファベットより目立つ。また、各国固有の特性も現われている。

ここに、日独米の道路標識のパタンのルールをまとめておいた。 詳細はドイツアメリカの標識一覧のページを参照。 (ここにもドイツの標識一覧が) なお、ヨーロッパ諸国では国際道路標識と言うのものが使われており、基本的に各国大差ない。 各国固有の微小な差はあるだろうが、それはいずれ調べよう。上では代表でドイツのものを挙げている。 これが、ウィーン世界道路交通会議「国際標識及び信号に関する条約」によるものなのかは 不明。ここによると、国際道路標識は1934/35年に採用されたとある。

日本の標識パタンのルールはヨーロッパよりもアメリカに近い。最も目立つ違いは、 日米では警戒標識が黄色の菱形なのに対し(信号の黄色は注意に合わせているのだろうか?), ヨーロッパでは警戒標識は赤い縁どりの三角形である。 ただ、内部の図形(ピクトグラム)は日欧大差ない。 警戒標識のピクトグラムはヨーロッパの物の方がいろいろ豊富なようである。 日本にない物は、自動車が堤防から転落している絵、飛行機、車が泥しぶきを上げている絵、 引き橋, 渋滞注意など。動物注意は、野性動物(鹿)と家畜(牛)に分かれている。 デザイン的には、「子どもに注意」が、女の子の方が大きくて先を歩いているのが、 日本と逆である。(しかし、ドイツ標識の新旧比較によると、新しい物では性別不明になっている。 新しい標識は、オリンピックのピクトグラム見たいに記号的になり、 古い標識の持つ表現主義的力強さは消えた。) また、「落石注意」の絵が日本よりリアル。日本の落石注意は、 落ちる岩の軌跡が描かれているが、これは日本固有の表現かも知れない。(漫画大国。) なお、世界中の標識の中の子どものデザインや「落石注意」の岩の数などについて考察した おそるべきサイトがある。ここには標識収集の心得まで書かれている。 ちなみに、岩石の数の最小記録は2個(ベルギー)、最大記録は何と42個(エクアドル)とか。

次に、規制標識だが、これは、日本はむしろアメリカよりヨーロッパに近い。 赤い縁どりの円形標識が禁止や限度を表すのは各国共通している。 (しかし、日米は禁止の場合, さらに赤のたすきが掛けられているが、ヨーロッパでは駐停車禁止関係以外には 禁止の意味のたすきはない。逆たすきは、規制終了の意味である。) また、重要な「徐行(先方優先)」「進入禁止」も各国ほぼ同じだ。 ちなみに、「一時停止」は、どうも日本だけが特異のようだ。アジア諸国でも 赤八角形が「一時停止」のシンボルである。(ここを見よ。)日本でも昭和38年まではこのタイプの 「一時停止」が使われていたのだが。 その他の規制標識は、日本とヨーロッパは似ている。青い丸標識が指定外禁止を表す。 また、駐停車禁止系も同じ。一方アメリカは、これらは白地に黒文字の四角い看板である。 どうやら、アメリカは規制標識に関しては、矢印以外はピクトグラムになっていないようだ。 英語で説明が書かれているただの看板だ。駐停車禁止系は赤文字である。 日本は規制標識に関しては色と形の組合せパタンがやや複雑である。 ヨーロッパの規制標識で面白いのは、騎馬専用だろうか。

指示標識と言うのは、日本では明確に分類されているが、他の国ではあんまりはっきりしない。 案内標識以外のその他諸々と言う感じである。 指示標識には日本固有のものが多いようである。 ヨーロッパで, 日本の指示標識に当たる物は、青の四角形だが、案内標識と区別が付かない。 このタイプで面白いのは、「交通規制住宅地域」の標識。何か、壁画か現代美術みたい。

案内標識については省略。アメリカでは娯楽文化施設の案内は茶色である。

標識関係の総合リンクページはここが凄い。 ここは、道路標識に限らない。ここから辿れる日本の看板の説明は、ちょっと変。

ついでに、道路標識関係の冗談ページを紹介しよう。日本では、道路標識の新解釈が有名だが、 海外ではこのページが激しい。

1998/12/4



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