1999.1.28
新居浜市の地図を見ると、住友病院のある場所は、上記の場所とは離れているので、 2箇所に並進可区間があるのかもしれない。住友病院と住友病院前商店街が離れている可能性もあるが、 同市内の2箇所に珍しい並進可区間があるとすれば、これは新居浜の警察のポリシーでしょうから、 同市内の他の場所にもあるかも知れない。実際、標識とか信号などの設置のポリシーは警察毎にまちまちなようだ。 我が市では、自動車通行止めの標識はあまり見ないが、隣の町にはたくさんある。
1999.2.28
そういうわけですので、自転車並進を不可にした日には全員遅刻は間違いなし。 そもそも路肩を2台並んでというより、道を占領している感じです。 同時に、もっとも混む時間帯は工場からの4輪車の退場が禁止されます。その結果、 道路は事実上一方通行となり、自動車は対向車線、自転車・バイクは車線、歩行 者は路肩を歩くというシステムに暗黙のうちになっています。(抜粋終り)
そして、写真を頂きました。すばらしい。
50.並進可(愛媛県新居浜市住友化学工場前:梅田鉄さん提供, 1999.4)
やはり、この標識は、自転車が主役だった時代の名残りと言う予感が当たっているような気がする。
かつて、自動車が高嶺の花だった頃は、並進可区間も多かったのかもね。
1999.4.27
1999.5.19
ちなみに、「安全地帯」標識は幾つか映っていた。(p.14 札幌, p.19 広島、 p.64 函館、 p.87 鹿児島) 前にインターネット上で発見した「安全地帯」標識は、大阪、福井、富山、広島、豊橋だった。 今の所、「安全地帯」の存在が確認された場所はこの8都市のみ。 なお、p.131の名古屋の写真は、廃止された路面電車と共に安全地帯標識も保存されているらしい。 なぜゆえ、同じ指示標識なのに「安全地帯」ばかり優遇されて、「軌道敷内通行可」は無視されるのだろう? 「安全地帯」という名前のロックバンドすらかつてあったし。
以前、関東&東北地帯の「軌道敷内通行可」標識本数一桁説を展開したが、確認した訳じゃない。 今の所この地帯で私が確認した本数は5本。(それどころか、全国において確認した本数も同様である。) 都電荒川線以外にこの地帯に路面電車はないからだ。かの雑誌には東急世田谷線も路面電車と 紹介されているが、それはかつてそうだったと言う事だろう。表紙を飾っている泉麻人の 解説じゃ良く分からないけど、そういう話だ。 しかし、神奈川の江の電も一部路面を走っているらしいので、この標識が存在する可能性はある。
この雑誌で興味深かったのはトロリーバス。トロリーバスと路面電車の違いは軌道があるか ないかという違いだけのようだ。まさに電車と自動車のあいの子。 道路交通法第2条8で、「車両とは自動車、原動機付き自転車、軽車両およびトロリーバスをいう。」 と書いてある。そして12でトロリーバスを定義している。 このようにトロリーバスは車両四大カテゴリーの1角を占めているのだけど、実際存在するの? 魚の大きなカテゴリーである総鰭類がシーラカンスが発見されるまでは現存生物無しだったのと 同じ状況?
インターネットで調べると、何と日本で一か所にだけトロリーバスは現存するらしい。 (正確には最近2か所になったらしいが、同じラインにある。) ここと ここと ここと ここ。 まさに、シーラカンス状態。(もっとも、世界に目を向ければトロリーバスはたくさんあるそうだ。)
1999.4.11
1999.4.25
JAFメイトで紹介されたもう一つの変な地名表示は「正直町」だが、これは国道408号(茨城県牛久市)に あるやつかな。あんまり面白くないな。「不正直町」とか「うそつき町」だったらありそうに無くて面白いけど。 「正直町」の近くに「床屋前」というバス停があって、昔私の周囲で話題になって、 リサーチした人々がいる。かつては床屋があったそうだが、今は無いそうである。 でも、その場所は、床屋が無くても床屋前と言うしか無いんだろうな。
fj.rec.railで、千葉県佐倉市のユーカリが丘線の駅名が「公園」とか「女子大」 とか「中学校」とか普通名詞なのでバス停みたいで何とも言えないという話題があった。 (この線では、駅は他に3つしかない。) JRなど駅の数が多い会社は、地名だけで駅名を一意に特定できないので、旧国名を つけたりする。千葉県一宮町の上総一宮駅など。でも、旧国鉄系でなくても、 異る会社なのにこのルールを適用しているケースがあるような気がする。 まあ、昔は私鉄を国が買い上げたりしていたので、いろいろ因縁があるんでしょう。
でも、新しくできた路線の駅は、そういう古いルールには縛られないようだ。 そこで、駅名簡略化の効用を優先して、ユーカリが丘線みたいに普通名詞が駅名に使われてしまう。 (逆に、日本一長い駅名競争に参加して複雑化する駅名もある。)
バスの停留所だと簡略な名前を使う傾向は強い。ローカルな路線なら、 「駅前」とか「役場前」で十分だろう。路線名とセットにすれば混乱する事は無い。
道路地図で調べると、千葉県成田市周辺(富里、酒々井など)のバス停は普通名詞が多い。「駅」「公民館」「工場」「団地」 「車庫」「病院」「役場」「幼稚園」「神社」「公園」「遺跡」「ホテル」 「十字路」などは良くあるけど、 「局」「東」「西」「南」「第一」「第二」「流れ」まで来ると 省略しすぎで、何だかやる気無し。地図に載っているのは簡略表記で、 本当はちゃんとした名前があるのかもね。 「住宅入口」「旧宅入口」「天国入口」「メモリアル入口」なんてのもある。
[おまけ]Yahoo JAPANで、私の「道路交通標識写真図鑑」のための新しいカテゴリー 「趣味とスポーツ:自動車:運転:安全:交通標識」 ができてしまった! (前は、違う所に登録されていたのだけど。) 安全とはあんまり関係ないような気もするが、まあいいか。 このカテゴリーに他のページが登録される事はあるのだろうか?
1999.4.23
2000.2.21
Yahoo JAPAN「交通標識、信号」に、私のページが復帰しました。
2000.3.1
さらに、p.11、p.16の長崎の安全地帯の標識を見落としていた。これで、とうとう安全地帯存在地確認数は10に。 後、可能性がある都市は、高岡、岐阜、京都、滋賀、岡山、松山、北九州、熊本だ。
上記都市に絞ってインターネット探索。 とりあえず高岡(ここも)で発見。これで、11。 岐阜にもあった。12。 京都。でも、この蹴上という 駅のある京阪電鉄京津線は既に廃止になっているので、もうないだろう。 大津の石山坂本線も路面部分は無いと言う話である。(ここより。) 京都京福電鉄嵐山線の三条口駅に安全地帯があると言う話だが、標識写真確認できず。 (私, 嵐山線は昔何回か乗った事あるんだけど、憶えていない。他に私が乗った事あるのは、鹿児島と東京だけ。) 熊本にはたくさんあった。13。 北九州はもう路面電車は無いようだ。(ここより。)かつての路面電車路線には独特の安全地帯標識がたくさんあったようだ。(ここで確認。) 岡山は安全地帯の写真はたくさん見つかったが、標識は無いみたいだ。 その代わり、最も簡素なタイプの安全地帯を発見した。(道路標示のみのやつ。危なそう。) 松山は見つからず。
さて、私はずっと安全地帯は路面電車専用の施設だとばかり思っていたのだが、道路交通法を 良く読むと、第1章第2条6:「安全地帯:路面電車に乗降する者もしくは横断している歩行者の安全を 図るために道路に設けられた島状の施設又は道路標識及び道路標示により安全地帯である事が示されている 道路の部分をいう。」とある。 岡山の場合は、島状の施設か道路標示を専ら使い道路標識を使わない主義のようだが、 一般には島状の施設と道路標識を併用する場合が多いようである。 それよりむしろ重要なのは、必ずしも安全地帯は路面電車とリンクしている訳ではないと言う驚愕の事実である。 実は、adaさんからのメールで、旭川市では路面電車が無いのに安全地帯標識が中央分離帯の所に あると言うことを教えて頂いていた。30年前に市電が走っている名残りなのではないかということだが、 それでは説明できない場所もあるそうである。 これが、上記の赤い字で示した文言のケースに当たるのだろう。 安全地帯と路面電車が必ずしもリンクしていないと言う事なら、全国の安全地帯標識を制覇することは困難である。 そうなると安全地帯の第2ケース(非路面電車系) がどれくらい珍しいものなのか気になる。 島状の施設だけならいっぱいありそうだが、 道路標識か道路標示によって安全地帯である事を宣言している 第2種安全地帯は珍しそうである。
うーん、トロリーバスのように、道交法に記載されているレアケースに興味が湧いて来た。
1999.4.24
1999.4.27
2000.2.11
近くの本屋でその手の写真がありそうな本を物色する。 平凡社, コロナブックス「昭和生活なつかし図鑑」(1999)には旧標識の写っている 写真が3枚ある。p.61の写真は昭和21年の銀座で、路面電車が走っている。 さすがにこの時代は旧標識以前で、道路局のページで紹介されている進駐軍用の アベニュー、ストリート標識が写っている。これらは案内標識だが、みんな英語である。 警戒標識っぽいのも写っているが良く分からない。 良く見る(?)旧標識は昭和25年〜昭和38年のもので、それ以前のタイプはデザインすら分からん。
p.97には、昭和30年の渋谷駅交差点の写真があり、「自動車通行止」と「横断歩道」の 旧標識が写っている。「自動車通行止」のデザインは、私の持っている昭和33年の教習本のものと 同じで、ジープを横から見た物だった。これが旧標識時代後期になると今と同様の正面のパタンになってしまうのだ。
p.108,109には昭和38年の銀座の写真があり、路面電車と共にたくさんの旧標識が写っている。 はっきり分かるのは「転回禁止」「右折禁止」「横断歩道」。また、「駐車禁止」も 確かだろう(「駐」の字の入っているやつ)。 他にはっきり良く分からない標識が禁止系1種、非禁止系1種見つかる。非禁止系1種は、 エムズコレクションのトレイン マーク411と見比べると、どうも「軌道敷内通行可」のように 思える。安全地帯も写っているが, 残念ながら道路標識は見えない。
岩波書店, ビジュアルブック、水辺の生活誌「大阪は水の都」(1994)は、昭和30年代の大阪の 写真で構成されており、旧標識もいっぱい出て来る。表紙からいきなりそれらしいものが 写っている。多分, 車両通行止めだと思うが定かではない。
p.27に非常に鮮明な「駐車禁止」「転回禁止」がある。昭和37年の梅田コマ劇場前。 標識は角材にボルトで繋げられているようで、痛みが激しい。 標識の最下部に区間、時間、車種の欄があり、手書きで何か書いてある。
p.55の昭和36年の難波法善寺横町に「車両通行止」の鮮明な写真。 これ昭和33年の表では、タイヤのデザインは同じだが、日本語は「諸車通行止」だった。 英語の"Closed to all vehicles"は変わらない。
p.71の昭和37年の中之島には、新旧標識が混在している。今と全く 同じ「最高速度」と「大型貨物自動車通行禁止」が写っている。これって昭和38年からじゃ なかったんだっけ?旧標識ではっきり分かるのは「車両通行止」「自動車通行止」 それと多分「右折禁止」。もう一つは「追越禁止」かな。この「自動車通行止」では既に 車は正面を向いている。
p.73の昭和37年の梅田新道交差点、今まで出て来た物がまた写っています。 後ろの方にある禁止標識は不明。国道標識は今と同じオニギリ型。 案内標識も旧タイプが写っているが、このタイプは今でも発見する事ができる。 p.75は昭和37年の梅田(ナビオ阪急のある所)。「転回禁止」。 隣に阪急百貨店前のトロリーバスが写っている。
旧標識の場合、野外現物収集ではなく、書物写真収集でも結構面白いかも知れない。 デザインの微妙な変遷もあるし、レアなものもあるだろう。 ただ、旧標識の体系立った資料が無いのが残念な所である。
1999.5.6
1999.7.3
遂に、現存する旧標識の写真を送っていただきました。「警笛鳴らせ」
1999.7.24
大人になってつくばに来てから、歩いて職場に通うようにしたら鳥の種類が意外と 多いのを知る。そこで、鳥の図鑑と双眼鏡を買う。やたらに多いのがシジュウカラだ。 それはすぐに分かる。でも良く見ると若干違うのがいる。コガラがたまに混じっている。 5対1ぐらいの比率かな。もう一つ似ているヒガラは見つけられなかった。 でも、1冬の間一度だけヤマガラを見つけて、頭でかいなと思った。 毎日毎日鳥をチェックして、新しい種に出会う事は滅多にないのだが、 ルリビタキとかカケスとか綺麗な奴を見つけると感激する。 カケスなんて子どもの時に死体は見た事あったが、生きている奴見たのは最近である。
さて、道路標識では「並進可」は超レア級で、市内どころか県内で発見する事も 不可能だった。市内には無いが県内ならあるレベルだと、「ロータリーあり」(笠間駅前)とか 「バス専用」(水戸市内)とか。 「自転車専用」なんて意外に無いんだよな。私の調べた限りでは岩井市にたった1個と石岡市に 数個あるだけだ。市内に丁度1個あるレベルだと「停止線」。 「危険物禁止」「軽車両通行止め」「歩行者通行止め」は2個かな。 「自転車通行止め」は図書館情報大構内で見つけた。 筑波大構内を散歩していたら「歩行者専用」標識を発見した。 「歩行者専用」は商店街のアーケードなどにあるのを良くテレビで見るので、 都市部では普通なのかも知れないが、つくば市では今まで見つからなかった。 「歩行者自転車専用」は異常にたくさんあるけど。 この「歩行者専用」標識は林の中の歩道に立っているが、何でここだけそうなのだろう? 不思議である。きっと何か訳があるのだろう。 多分、つくば市にはこの標識はこれ1個しかないだろう。 広い市内のここにしかないから、ここは特異点。
1999.5.14
石川のチームは最初わざと危険そうな山道を選んで走ったが、危険な目に遭うだけで、 標識は見つからない。やがて能登半島の海岸沿いで連続して発見することができた。 結局5個を発見できたが、番組の調査では石川県には11個だったのでほぼ半分近くを 集中的に見つけたことになる。実際彼らは2つほど近くを通過しているに見損なっている。 石川県がわざわざ選ばれたというのは、特に石川県にこの標識が多いということが知られていたからだろうか。あるいは、たまたま番組関係者が能登半島をドライブした折りに、普段見慣れない 標識が多かったので、ネタにしたのだろうか。 チームが発見したのは、輪島市深見町の「地すべり地帯」と輪島市名舟町の「波しぶき注意」である。 他に、小松市千代町に「見通し悪し」、金沢市小原町に「なだれ注意」があるそうである。
一方、東京のチームは主に見通しの悪い信号のない6叉路にターゲットを絞って探索したが、 日没近くまで全然見つからない。 ぎりぎりで多摩川沿いの道で2つ発見したが、奇跡的である。というか、多分演出だろう。 結局、東京都内にこの標識は4つしかないので、抽象的なヒントだけで見つけるのは 無理だろう。彼らが見つけたのは路肩が弱いという理由によるものだが、補助標識による 説明がないので当地では意味不明である。石川ではすべて補助標識による説明があるが、 東京のものは見事にすべて補助標識による説明がない。 他の2つは世田谷区砧と港区南青山にある。前者は信号のない見通しの悪い6叉路で、 飛び出し注意だが、このような場所は都内に無数にあるので、たまたまこの場所を 探し出すは奇跡に近いだろう。後者はかなり有名なものである。 青山墓地の脇の細い道に立っており、 例によって補助標識による説明はない。 このため、「幽霊出没注意」を表しているという都市伝説が発生した。 タモリ倶楽部でタモさんが2度に渡ってこの話題をしていたが、本当にあったんだな。 実際は、「ヘビ出没注意」ということなのだが、怪しい。
その他の危険標識の謎はアンダーグラウンドでは有名らしく、同じく日本テレビの 特命リサーチの投稿コーナーでも質問が出ていた。さすがに特命リサーチの話題としては そぐわないが、面白いので、代わりに鉄腕ダッシュで取り上げたのだろう。 しかし、番組では幽霊の話はなかった。
それから、同じく日本テレビで放映中の「蘇る金狼」でも、主人公の隠れ家の 脇の道の踏切の手前にもびっくり標識は立っている。これの方が謎である。 最初、このシーンを見たとき、ロケ地にたまたま標識があったのかなと思い、結構 東京には多いのかなと思ったが、やはり、不自然である。 多分、これは演出なのだが、一般の人には分かりづらい演出である。 危険な主人公の隠れ家を暗示しているのか、松田優作の蘇る金狼の時代には 多かったであろうこの標識を出すことで時代を表しているのか。 それとも、日テレ内で、この標識が話題になっていたのでしゃれで出したのか、 鉄腕ダッシュへの暗示的番宣(サブリミナル)なのか? 番組で福澤アナが説明用に持っていた標識サンプルは、「蘇る金狼」の セットから拝借したのかな。 (関係ないけど、最近蘇金旧版のテーマ曲をなぜか思い出してしまい。 頭から離れない。変な歌だった。)
その他の危険は昔結構よく見たので、あまり珍しいという意識はなかった。 しかし、番組では道路整備が進んだ今、この標識を見つけるのは難しいと言っていた。 確かに、長いこと見ていないような気がするが、それでも、あまり注意していなかっただけで、 最近でも見たことがあるような気がするのだが。具体的場所は思い出せない。 以前、その他の危険の補助標識収集を企画したが、日テレさんが部分的に実現してくれた。 東京と石川に限らず全国展開してくれないかな。(番組では高知県安芸市の標識も 紹介していた。理由は上下線分離。御神木で道路が急に分離しているらしい。) できれば、他の珍しい標識「優先道路」なども扱ってほしいのだが。
私の3つのWanted標識(並進可、停車可、優先道路)の内、「優先道路」だけは、明瞭な情報は得られなかった。 つくば市に6年前まであったとか、大阪、京都、世田谷区か目黒区で見たことが あるという情報はもらったのですが。こばやしのりひでさんからこのページに 写真があるという情報をもらったのですが、現地では既に撤去されたようで、 相変わらず幻の標識のままです。 「その他の注意」も、かつてはたくさんあったのに、どんどん無くなって行き、 希に残っている場所は極めて地味な所なので、見つけだすのは非常に困難である。 「優先道路」もそれに近い。
しかし、今回の鉄腕ダッシュは楽しかった。運転中に道路標識に過敏になり、 標識が後ろ向きのときは 車を降りて確認したくなるという病的状態に私もかつて陥っていた。これは、危ない。 特に、警戒標識は独自なものが多いので、黄色菱形で怪しい図柄が遠くから見えると どうしても確認したい願望を押さえられなくて、目的地になかなかたどり着かない。 これは一種の収集癖で、レアなものをふと発見する快感が忘れられない。 かの番組はそういう感じを良く表していた。番組で誰かが、普通の警戒標識(十字路とか、 学校ありとか)が将棋の歩に見えると名言を吐いていたが、私には麻雀役の平和(ピンフ)、 タンヤオに見える。珍しい役を見たくて麻雀を止められない人もいるだろう。 より強い刺激を求めて欲望がエスカレートするのは立派な中毒である。 インターネットは新種の中毒ネタを見つけだす唯一格好のメディアなので、 メタ中毒になるおそれがある。
1999.6.14
1999.6.23
そこで、永田町にある国立国会図書館の法令議会資料室に行ってみた。 それで、予想以上に簡単に旧標識の全貌が分かった。 以下の記述では、道路標識の内、案内標識と補助標識は除いている。 (案内標識については、以前のレポートを参照して下さい。)
私が調べたのは、「昭和46年11月30日総理府、建設省令(資料1)」 「昭和38年7月13日総理府令、建設省令(資料2)」 「昭和38年3月29日総理府令、建設省令(資料3)」 「昭和35年12月17日総理府令、建設省令(資料4)」 「昭和25年3月31日総理府令、建設省令(資料5)」 「昭和17年5月13日内務省令(資料6)」 「大正11年11月9日内務省令(資料7)」である。
資料7以外は、旧令を廃止するか、改正すると言う事が書いてあるので、 多分、大正11年のものが最初の公式な道路標識に関する命令だと思われる。 大正11年から昭和17年の間(因みに、太平洋戦争開戦は昭和16年12月)の 道路標識は案内標識以外は「右曲リ」「左曲リ」「上り」「下り」 「踏切」「学校」の6種類。 全て、棒の先頭に赤い縁の三角版を掲げ、 その下に縦長長方形の標識本体が付く。標識本体は黒地に白字。 上部は文字列が右から左へ漢字とカタカナ混じりで書かれている。 中間部は記号で、下部は「先何米」と距離が書かれている。 「右曲リ」「左曲リ」の記号は、現在の警戒標識と同様の曲がった矢印で、 「上り」「下り」の記号は、現在のつづら折標識に似ているが、下りの 矢印は下向きだ。「踏切」の記号は枕木4本の線路で、これは次回改正でも 温存される。「学校」は「文」マークである。
案内標識は、建設省道路局のページを見て欲しいが、他に、 「丁字路ノ分」「十字路ノ分」という、良く分からない標識がある。 これらは、棒の組合せで丁字路と十字路を表しているようである。
最初の改正は、太平洋戦争突入直後の昭和17年(資料6)で、 なぜかヨーロッパ方式になっている。 やはり独伊に合わせたのかな。 これは、昭和25年(米軍占領統治終了の前年)まで続く。
警戒標識は「踏切近シ」「交叉近シ」「左曲り近シ」「右曲り近シ」 「屈曲近シ」「危険近シ」「学校近シ」「徐行近シ」の8種類で、 上の尖った三角形板に赤い縁があり、白地に黒字で記号が書かれると言う ヨーロッパ方式のフォーマットである。 特に前5者は、記号も現在のヨーロッパ標識とほぼ同じデザインである。 後3者はそれぞれ「危」「文」「徐」と書かれている。
禁止標識は11種類で、丸板に赤い縁、赤いたすきで、白地に黒字で、 禁止対象が主に縦文字列で書かれている。矢印関係だけは記号である。
制限標識は2種類で、丸板に赤い縁、白地に黒字である。 重さ制限と速度制限で、キロメートルやトンが漢字である。
指導標識は「横断歩道」「駐車可」「諸車左折」「一方交通」の4種類で、 横長長方形または正方形の板に、白地に緑字で書かれている。文字と矢印だけで 表現されている。
昭和25年の改正で、お馴染みの旧標識スタイルとなる。すなわち、 上から日本語説明, 記号、英語説明の縦長長方形を基本とするものである。 ただし、警戒標識は黄色地の菱形で、多くは現行のものと同じである。 英語併記および警戒標識のヨーロッパ方式からアメリカ方式への移行から見て、 米軍占領統治に便宜を図っているものと思えるが、 この新標識が制定された翌年には、 米軍は撤退している。それでも、昭和38年まで、このタイプの標識が 使われたのは、経済および安全上の理由で、10年は変更したくなかったのだろう。 私の持っている昭和33年の標識一覧は、昭和25年から昭和35年までの期間の標識を網羅しているようある。 尚、警戒標識13種類の内、9種類は現役である。(ただし、1種類は亡びつつあるけど。→機関車) 警戒標識以外は、昭和35年の改正で一部消滅し、昭和38年に全滅した。
1999.10.8
追記
「道路標識、区画線及び道路表示に関する命令」他、道路関係の法令が建設省道路局の
Webページに掲載される。
http://www.hozen.or.jp/road/kijyun/taikei01.html
ただし、「交通小六法」のものとは違って、改正の経緯などは省略されており、 最新の法令として整理されている。建設省道路局の道路標識のページには、案内標識の歴史に加え、 世界の道路標識の紹介も載っている。
2000.1.24
警戒標識 208 学校、幼稚園、保育所あり (旧「学校あり」からデザイン変更:現在のものの左右反転に似たデザイン) 209 すべりやすい (新設:デザインは現行のものと同じ) (209) 危険 (廃止) 他は変更無し。 規制標識 従来の禁止標識と指導標識を合同。 301 通行止め ROAD CLOSED (変更無し) 302 車両通行止め CLOSED TO ALL VEHICLES (「諸車通行止め」より名称変更) 303 自動車通行止め(二輪のものを除く) CLOSED TO MOTOR VEHICLES NOT FOR MOTORCYCLES (条件追加、デザイン変更:車が横向きから前向きへ) 304 大型自動車通行止め CLOSED TO LARGE SIZED MOTOR VEHICLES (新設) 305 自動車原付通行止め CLOSED TO MOTOR VEHICLES AND BICYCLES WITH MOTOR (新設) 306 荷車通行止め CLOSED TO CARTS (変更無し) 307 自転車通行止め CLOSED TO BYCYCLES (変更無し) 308 歩行者通行止め CLOSED TP PEDESTRIANS (デザイン変更:杖が消える。) 309-A 右折禁止 NO RIGHT TURN (変更無し) 309-B 右折及直進禁止 LEFT TURN ONLY (変更無し) 309-C 屈折禁止 NO TURN (変更無し) 310 歩行者横断禁止 NO CROSSING FOR PEDESTRIANS (新設、デザインは歩行者通行止めの人の下に矢印追加。) 311 車両横断禁止 NO CROSING FOR VEHICLES (新設、デザインは両方向横矢印) 312 転回禁止 NO U TURN (変更無し) 313 後退禁止 NO BACKING (新設:縦下向き矢印) 314 追越禁止 NO PASSING (変更無し) 315 駐車禁止 NO PARKING (変更無し) 316 駐停車禁止 NO PARKING AND STOPPRING (新設:駐と停の字) 317-A 危険物車両通行止 DANGEROUS GOODS PROHIBITED (新設) 317-B 最大幅 MAXIMUM WIDTH (昭和37年1月の改正で新設) 318 重量制限 LOAD LIMIT (デザイン変更:重量数値の下に山型デザイン, 赤と青交換) 319 高さ制限 CLEARANCE(デザイン変更:高さ数値の上に逆山形デザイン, 赤と青交換) 320 最高速度 MAXIMUM SPEED (色変更:青枠から赤枠へ) 321 最低速度 MINUMUM SPEED (新設) 322 自動車専用 MOTOR VEHICLES ONLY (新設) 323 一方通行 ONE WAY (変更無し) 324 右側通行 DRIVE TO RIGHTSIDE (新設) 325 車両通行区分 (新設) 326 軌道敷内通行可 MAY DRAIVE ON TRAIN WAY (新設) 326 右折外小まわり RIGHT TURN TOWARD IMMEDIATE OUTSIDE (新設) 328 徐行 SLOW (新設) 329 停車可 MAY STOPPING (新設) 330 駐車可 MAY PARKING (新設) 331 駐停車可 MAY PARKING AND STOPPING (新設) 332 駐車線 PARKING LINE (新設) 333-A 直角駐車 RIGHT-ANGLE PARKING (新設) 333-B 斜め駐車 ANGLE PARKING (新設) 334 警笛鳴らせ SOUND HORN (変更無し) 335 警笛区間 SECTION FOR SOUND OF HORN (新設) 336 一時停止 STOP (色とデザイン変更:赤地、一時、止まれ、STOP) (309) 通抜禁止 (廃止) (311) 停車禁止 (廃止) (402) 速度制限解除 (廃止) (405) 静かに (廃止) 指示標識 401 駐車場 (変更無し) 402 工事中 (変更無し) 403 横断歩道 (変更無し) 404 安全地帯 (変更無し) 405 まわり道 (変更無し) 406-A 屈折方向(一方向) (指導標識より組み換え) 406-B 屈折方向(ニ方向) (指導標識より組み換え) 407 踏切 (変更無し)
昭和38年3月の改正で、現行標識と殆ど同じになる抜本的な デザインの変革がなされた。ただし、警戒標識は、以前に 現在のデザインになっていたので、今回は変更は無い。 この時に新たに設定された標識で、その後廃止になったものはない。 デザインが少し変更されたものが2件あるのみである。
昭和38年7月に、警戒標識の一部が新設、修正された。 このとき新設された警戒標識で、後に廃止になるのは「作業中」だけである。 また、「学校、幼稚園、保育所あり」が現行のものに成った。 昭和35年以来、たった2年半で廃止になった古い「学校、幼稚園、保育所あり」の デザインと現行のデザインの差は 微妙である。一番はっきりしているのは左右反転されたことだが、 それ以外に、現行では学生帽を被っている男の子が、帽子をしていないし、 女の子はポニーテールだし、また、男の子はランドセルでなく、 現行の女の子と同様の手鞄をもっている。
昭和46年の改正で、「ロータリーあり」や「歩行者専用」など新たな標識がいくつが 導入されたが、つるはしマークの「工事中」と「作業中」が統合され、 現行の「道路工事中」となり、「注意」がびっくりマークの「その他の危険」 となった。これより後の改正では、新しい標識が設定されることはあっても、 デザインの廃止や修正はないようである。
1999.10.10