つぶやき編2000


書物の中の旧標識その2

東京に行った折は、大型書店で昔の街並みの写っている写真集などを立ち読みして、 旧標識が写っていないか探すのだが、まあ大体いつも出会う標識の タイプは決まっているようである。 現在のタイプで多いものが、旧標識でもやはり多い。

最近マニアック路線を突き走っているJTBキャンブックスの 「日本の路面電車II:廃止路線東日本編」を買って読む。 古い街並みの写真がなかなか素敵である。戦後から昭和30年代ぐらいまでの古い写真を見ると、 本当にこんな景色が日本に実在していたのだと言うリアリティを持ちえない。 その時生きていなかったので、何だかだまされているようにさえ思う。 似たような町並みが現在全く見られないからだろう。 古い型の自動車や路面電車、トロリーバスが酷くチープで雑然とした 街並みを走る様は、東南アジアの違う国みたいだ。

最近は、物心付き始めの頃に、未だ若干残っていたであろう昭和30年代の 街の雰囲気が写っている写真を見て不思議な感じを持つのに酔い知れている。 良く覚えていないので、懐かしいと言うのとは違う。何か変な感じである。 意識が芽生え始めた時に経験した物で、その後の物の見方のベースに なっているはずなのに、その物自体はその時以来目にする事は無くなり、 記憶の奥底で忘れ去られているようなもの。 そういう物に惹かれるのは、年を取って後向きになったからだろうか。

さて、この本では、昭和30年代の「横断歩道」やはっきり分からないが禁止系 の道路標識をいくつか見つける事が出来る。でも、一番興味深かったのは、 111ページの「安全地帯」の旧標識だ。やっと、見つける事が出来た。 ちゃんとsafety zoneと書いてある。昭和27年の横浜である。

実はこの本には、現在のタイプの安全地帯標識(25ページ、昭和45年名古屋)と、さらに 古いタイプの安全地帯看板(109ページ、大正12年?)が写っている。

2000.4.8


幻の足長小学生

足長小学生の道路標識を、10年程前どこかで偶然見掛けたような記憶があるが、定かではない。 あるいは、足長小学生のデザインを借用した看板だったのかも知れないし、何かの本で見ただけなのかも知れない。 あるいは、全く夢の中の出来事で、 子どもの時にどこかで見た記憶と混乱しているのかも知れない。

旧標識の頁を始めて、予想外に全国に旧標識が残っている事を知った。やはり、山の中の 林道や、古い街中にあるようだ。とりわけ、市街地に旧標識が残っているのは奇跡的と 言える。史跡や天然記念物とは違い、保存する価値を誰も認めないし、それどころか、 混乱を招く恐れがあるので、積極的に排除されるものだからである。

以前、広島県豊田郡豊町の大崎下島の御手洗(みたらい)と言う所に、 足長小学生の標識が現存しているかも知れないという情報を頂き、豊町役場から 「豊町ワクワク探検絵図」という資料を送ってもらった。 御手洗は町並み保存地区(国選定重要伝統的建造物群保存地区) に指定された街で、江戸時代の町並みが保存されている。 このイラストマップでは、豊町に残るレトロな建造物等をマンガで楽しく紹介しているのだが、 その中に「足長小学生?」と、かの標識のイラストが載っている。木製だそうだ。 情報はこれしかない。

長い間、この実物が見たくてしょうがなかったのだが、先日ようやく行く事が出来た。 大崎下島は、しまなみ街道から少し外れた島なので、船で行くしかないが、三原、竹原、呉、今治などから 比較的容易にたどり着ける。しかし、結局、足長小学生を見つける事は出来なかった。

御手洗の入口の店で、もっと詳しい「見たらいい町、御手洗(みたらい)マップ」と言う 地図を入手した。これにも、足長小学生標識のイラストがあり、地図に場所が示されている。 この地図には、全ての建物が正確に描かれているのだが、足長小学生標識が ある事になっている場所の建物が、現場では消滅してサラ地になっている。 最近建物が取り壊されたような新しいサラ地だった。 多分、この建物に付着していた標識も同時に消滅したのだろう。 私は、呆然とその場に立ちつくすのみ。

この島の町は、まだ陸上交通より海上交通の方が便利だった明治以前までは、 かなり栄えた交通の要所で、七卿落ちの屋敷とか御手洗条約の地とか、歴史的史跡がある。 しかし、陸上交通の発達と共に海上交通が衰退して行くにつれ、 町の勢いも衰退して行き、最盛期最後の明治初期の状態のまま凍結されてしまったようである。 今は、町並み保存地区に指定されたため、お金をかけて人工的に綺麗な古さを作っているようである。 それでも、崩壊寸前の廃屋もあり、かの標識のあった小さな建物も、こんな標識が 残ってしまう程古い物で、物理的に限界状態だったのだろう。

それでも、もうちょっと前まで、足長小学生標識は確かに存在していたのだろう。 イラストマップには、この地図は1994年から1997年の間の取材に基づくもので、もし 変わった所があったらごめんなさいと書いてあった。 10年間だけ正規の標識として日本中に 分布していた物が、40年近く経ってから誰にも顧みられる事無くそっと地上から消滅して行った のかもしれない。 それは、単なる記号に過ぎないのだが。

2000.5.7

追記1

とうとう、「足長小学生」が埼玉県吉川市で発見されました。ここ。

2000.8.23

追記2

akiraさんから、金沢市で「足長小学生」標識を発見したとの情報を頂きました。 場所は、金沢市笠舞3-21、猿丸神社の横から登る坂の途中にあるそうです。 近くの方は、観察してみて下さい。(ここに地図あり。)

2000.11.18

追記3

写真を送って頂きました。ここ

2000.12.5

追記4

我が故郷の近くで発見。長い旅も終わったか。ここ

2001.5


長い旅路にケリもついた事だし、切りがいいので「つぶやき編」はこれで終了します。
次回からは、もっとお気楽な「細々ノート」に、思い付いた事を書き留めて行こうと思います。



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